与那国島日本最西端の島。北緯24度 東経124度那覇まで520km台湾まで170... この投稿をInstagramで見る 与那国島 日本最西端の島。 北緯24度 東経124度 那覇まで520km 台湾まで170km 僕が与那国島に行きたいと思ったのは、30年前に沢木耕太郎の「人の砂漠」を読んだからである。 そこで、こころを惹かれたのは、与那国島は第二次世界大戦後、「東洋のハワイ」になったという噺である。 与那国島は、台湾ー沖縄ー本土との「闇物資」が流れるルートの中継点として、平成のバブルの様になったのである。 しかし、その景気は3年と続かず、再び与那国島が最果ての島として、忘れさられるのである。 その当時は、与那国島や西表島周辺で「領海侵犯」や「不法上陸」「密輸」などが事件として横行。それを一般の島民がやっている面白さがありました。 普通の農家の人間が密輸をやり、小学生まで手を出し、学校の先生の30倍の収入があったらしいである。 内地や本土からも様々な業者が来て商売をやりました。 町も3軒しかなかった民宿が10倍の30軒になり島は、一気に生活が変わったのである。 本当に儲かって、楽園になったのです。 与那国島には、「ハイ・ドナン」というユートピア伝説があります。 これは日本最南端の島、波照間島では「パエ・パトロー」と呼ばれ沖縄本島では「ニライカナイ」と呼ばれました。 沖縄が人頭税で苦しんだ時の南にある「ユートピア」を望んだ夢物語の伝説です。 与那国島は、闇貿易で「ハイド・ナン」の夢を一瞬でも叶えたと言えます。 このユートピアの景気も去っていくのは一瞬だったのである。 島民が再び、普通の質素で慎ましい生活に戻ったのである。 今でも、その頃を懐かしく思うおじい、おばあの昔話として語り継がれている おじい、おばあは 「あの闇貿易の3年が私たちのハイ・ドナンなんだ」 そうゆういきさつを得ていつか、行きたいと思っていた土地である。 この与那国島には、創世記の伝説などもあり、それもまた、面白い。 この創世記の話は、また今度にします。 与那国島を楽しんで来ます😆 荻野徹(@fastingdietgymstylish)がシェアした投稿 - 2020年Oct月2日pm4時38分PDT