最近のテレビのニュースもバラエティも大谷だらけである。NHKのBSではドジャーズのシーズン中の試合はほぼ全試合放映したし、ポストシーズンの試合は地上波で放送している。おそらくドジャーズの試合の視聴者はアメリカにおいてより日本の方が多いのではないかという気がする。 実を言うと私自身も人後に落ちない大谷ファンであるが、このところの報道ぶりを見ていると些か行き過ぎではないかとも思う。

 

 

 なぜ人々はこれほど大谷選手の活躍に熱狂するのだろうか? どうもそれには日本人の田舎者意識が大きく寄与しているのではないかと私は思っている。日本は極東と言われる辺境の島国である。歴史的に見ても、中華や欧米の文明にあこがれ続けてきた経緯がある。そういうコンプレックスがあるために、外国からどう見られているかということがすごく気になるのだろう。だからスポーツ選手の評価にしても、外国においてどのように評価されているかということがとても重要なのである。

 

 そういう意味で私の知っている日本の最初にして最大のスポーツヒーローは力道山である。昭和三十年代の日本は敗戦のどん底からやっと立ち上がって復興の兆しが見え始めた頃であった。極悪な外人レスラーの反則技に苦しめられながら最後は伝家の宝刀空手チョップで叩きのめす、今から思えば実に安直な筋書きだが私たちはそれに熱狂した。戦争に負けてボロボロになった自負心がそれによって癒されたのである。力道山はNWA世界チャンピオンのルー・テーズなどとも互角以上の戦いをして、その実力が世界のトップレベルであることを示した。と多くの日本人は信じていた。当時の人々はプロレスが真剣勝負のスポーツでありショーだとは思っていなかったのである。だから、ほとんどの日本人は、力道山は格闘家として世界のトップクラスの強さを誇っていると本当に信じていた。当時の私たちはそれをとても誇りに思いプロレス中継に熱狂したのである。その熱狂ぶりは現在の大谷選手に対するものよりも大きかったと記憶している。 ただ残念なのは、力道山の存在は日本以外ではそれほど知られていなかったということが事実だということだ。それに彼の出自は現在の北朝鮮であり、その事実が当時知られていればあれほどの熱狂があったかどうかは疑わしい。当時の日本では韓国・朝鮮への蔑視が厳然として有ったからである。力道山人気はあくまで私たちのナショナリズムと強く結びついていたからである。

 

 日本人は外国人にどのように評価されているかを非常に気にする。そういう意味で大谷選手は掛け値なしのメガ・スターと言ってもよい。今やほとんどの野球好きのアメリカ人が大谷選手のことを超一流選手だと見做しているのは間違いない。インターネットでYahoo USAのホームページを検索すれば、ニュースのヘッドラインにShohei Otani の名が頻繁に出てくる。今までこれほどアメリカ人の注目を浴びた日本人はおそらくいない。大谷こそ日本人が待ち焦がれた本物のヒーローである。MLBの発表によればドジャース対パドレスのナ・リーグ地区シリーズ第5戦の日本における視聴者数は約1300万人だったらしい。その日はダルビッシュと山本の投げ合いということもあって特別日本での視聴率が高かったという事情はあるが、日本においてMLBの試合にこれほどの関心が高いのは大谷あってのことだろう。アメリカの人口は日本の約3倍あるが、おそらくその視聴者数は日本より少なかっただろう。おそらく日本では野球にそれほど関心のない人もトジャースの試合を見ているのである。そこにはやはり、ある程度日本人のナショナリズムがMLBの試合に関心を向かわせているのだろう。

 

 私はナショナリズムを頭から否定するつもりは毛頭ない。自分の属するコミュニティへの忠誠心はある程度あって当然だと思うし、私自身がそれほど野球に関心があるわけでもないのに、大谷のホームランを期待しながらドジャースの試合を人一倍熱心に見ているのである。しかし忘れてはならないのは、スポーツマンの栄誉はあくまでその人個人に帰するべきものであるということである。大谷がいくらホームランを打とうと、別に日本そのものや私が偉い訳でも何でもない、偉いのは大谷個人である。私はついでに喜ばせてもらっているに過ぎないことを肝に銘じておくべきだと思う。

 

 最近の大谷選手に対する報道のされ方にもちょっと気になる。大谷の実力は既にゆるぎないものとみんなが認めるところであるからには、もう少し冷静な態度が望ましいと思う。とにかくいろんなデータを引っ張り出してきては、いろんな角度からこれでもかというようなしつこくデータを引っ張り出してきて「これは新記録である」というような報道の仕方は如何なものかと思う。特に「50-50」の記録についてもそれは確かに偉業には違いないが、昨年度から投手に対する厳しいルール改正があったという条件付きで見れば、盗塁数について過去のデータと同じ土俵で比較するのは著しく公平性に欠けることを銘記しておくべきだと思う。あまりに行き過ぎた応援は、力道山の空手チョップに「ヤッタレーッ!」と絶叫したかつての私達のコンプレックスに満ちた顔が重なって見えてくるからである。スポーツに贔屓の引き倒しがあってはその価値が損なわれてしまうだろう。

 

 もう少し言わせてもらえれば、私はMLBのビジネスライクな考え方が大いに気にくわない。ドジャースのワールドシリーズのチケット料金は一番安い席で15万円、最上の席は300万円以上もすると言われている。はっきり言って馬鹿げている。すでに野球観戦は一般人が家族でこぞって楽しもうというようなものではなくなっている。子ども達を連れてボールパークに遊びに行くという牧歌的な様相はそこにない。これではアメリカの野球そのものの凋落は見えている。MLBは現在はビジネス的に成功しているように見えても、10年先はどうなっているかは分からないだろう。

 

 

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