進化論を否定する人は多いが、大抵の人はその理由として鳥の羽や目をとりあげる。「空を飛ぶという目的にかなった複雑かつ無駄のない構造は、高度な設計理念がなければ何億年かかっても出来ないでしょう。」と言うのである。確かに「鳥の羽が何億年かかってもできない」というのは当たっているかも知れない。初めて生命体ができたのが約40億年前、初めて鳥が出現したのが1億数千万年前とされているから、ざっと38億年くらいはかかっていることになるからである。
目や鳥の羽を理由に進化論に反対する人はダーウィンは「適者生存」という言葉を「最適者生存」と勘違いしているのだろう。明らかに生存に無駄で不利な形質を抱えていても、運も含めて最低限生き延びる条件さえあれば個体は生き延びて子孫を残す。鳥の羽をあげつらうなら、ダチョウについて考えてみたらどうか? ダチョウの羽は全然飛ぶための役には立っていない。速く走るためなら別に羽ではなくもっと洗練された形のものであった方が良いような気がする。つまり、ダチョウは無駄な形質を抱えながらも生きながらえて子孫を残し続けている。生き延びる種としては必ずしもその形質が洗練されていなくともよいのである。そしてまたいつかダチョウの子孫により強力な羽をもつものが出現して空を飛べるようになるかもしれない。そういう可能性は有る。 目については鳥の羽よりもっとできにくいような印象を受ける。しかし、その方の実証的な研究はかなり積み重ねられていて、目の進化についての一般向け解説書も沢山出版されている。40億年という時間は我々の想像を絶するものなわけで、その間に生まれる生物の個体数もさらに想像を絶するの上を行くものとなる。形質の変異の多くは生存に不利なものだが、母数が多ければその中に生存有利な変異が出現する可能性は高いと見るべきだろう。
目や鳥の羽を理由に進化論を否定する人はたいてい次に超越的な意志というのを持ち出してくる。つまり、目や鳥の羽のように複雑であまりに高度な働きをするものが自然に出来上がるはずがない。自然にできる上がるはずがないから、それには超越的な意志や意図が働いていなければならないというのである。目や羽が偶然に出来上がるということは感覚的には受け入れがたいので、そこには意図的ななんらかの力が働いていると考えた方がつじつまが合うという主観的見方である。
この世界が超越的な理念に従っているという考え方は全然問題ないと私も思う。もともとこの世界がこのようである理由というのは誰にも分からない、あえてそれを神であるとしても良いと思う。いわばそれは未知のものをX(エックス)という代わりに「神」と言うだけのことだから。その紙に自分の願望を投影して「神はこの世界を理想的なものしようとしている」と考えるのも良いと思う。それが信仰するということであり、人は自分の信じたいものを信じる権利があると私も思う。
しかし、自分の信仰を盾に「学校で進化論を教えてはならない」と言い出すのは明らかに行き過ぎである。進化論が上記で述べた超越的な意志に背いているという証拠はどこにも見当たらないからである。
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