細かいことがどうしても気になるのが私の欠点なんです。杉下右京の場合はそれが事件解決の糸口にもなるのですが、私の場合はなんの役にも立たないんです。それが分かっていてもどうしても気になってしまうんですよ‥‥‥。

 

あのですね、私は毎朝散歩に出かけるんですがね、その途中に公園があります。下の写真がその公園のグラウンドです。

 

 

中ほどの赤い矢印で示した部分に直線がひかれているのがお判りでしょう。これなんだと思いますか?  初めて見たときは「これは一体何だろう?」と思いました。でもそれがなんであるかはすぐ分かりました。人の足跡だったんです。近所のおじさんがグラウンドを横切って何度も何度も同じ線上を往復しているのです。大体7時半から8時くらいまでに公園に来ると必ず見かけるので、おそらく毎朝日課にしているものと思われます。すでに2カ月以上は続いているはずです。

 この50mほどの幅で対峙している二つの街灯を目印にしてまっすぐ歩いているようです。「この人はいったい何をしているのだろう?」   なにかの願掛けだろうかそれとも修行? もしかしたらまっすぐ歩くことによって平衡感覚を鍛えようとしているのだろうか? まったくよけいな詮索であることは承知しているのですが、自分の理解を超える事態に遭遇するとどうしても好奇心が頭をもたげてくるのです。じかに聞いてみたいとも思うのですが、ある種の真剣さをもってやっている人の行為を詮索するということに疚しさを感じます。いったいこれって何だと思いますか? 思い当たる節がある方はどうか教えてください。

 

 

 1998年度以来28年ぶりにプライマリーバランス(PB)が黒字になるというニュースが流れたのは昨年の暮れのことだった。PBとは基礎的財政収支のことである。それが黒字であるということは行政にかかわる費用が全て税収によって賄われることを意味する。つまり、国債発行による収入は国債償還以外の用途に使用されることはないということである。

 内心私は「ほう、すごいな」と思った。PB黒字が続けば「国債残高/GDP」は縮小していくはずである。それを続けていけるようなら高市さんの「責任ある積極財政」の責任は本物である。それがである、約わずか一か月後の1月23日に「高市首相、『財政収支』黒字化目標を単年度から数年単位へ見直し指示」というニュースが流れた。

 26年度に黒字にならなければもう絶対と言ってい良いほど黒字は不可能だ。というのは、ついこの前まで長い間日本はゼロ金利政策を続けていたからである。したがって国債金利も低くて済んだ。つまり、すでに発行済みの国債は極めて低金利だったということである。しかし、2024年からは風向きが少し変わってきた。あまりの円安で輸入品の価格が高騰し物価が上昇しだしたからである。物価が上昇すると企業は商品やサービスを値上げする。本格的なインフレ時代の到来である。インフレになると企業の利益も増える。したがって税収も増える。26年度から数年間はPB黒字の可能性が最も高くなる時期である。インフレが進んでくると長期金利も自然と上がってくる。26年度で黒字にならないなら、今後黒字化の見込みはあり得ない。防衛費を上げるなんてことをすればそれはまた夢の夢である。国債残高の対GDP比を増大させないためには意図的にインフレを起こし続けるしかない。

 しかし、PBの赤字を防ぎかつ日本経済を活発にする方法はまだある。高額所得者の課税率と法人税率を上げればよいのだ。政治とは極論すれば「税金をどこから徴収してどこに還元する」かである。税金は所得の再分配、つまり高い所から低いところに流せばよい。政治家は誰にもいい顔をしたいからつい減税には積極的になる。選挙のたびに税法を変えてばかりである。結局取りやすいところから取る消費税に頼るようになってしまった。このままだと消費税が20%になる日もそう遠くないと見た。

 日本ファーストが国政選挙のスローガンになりうるとは、日本もけちくさい国に成り下がったものだとつくづく思う。外国人優遇をなくせば自分の暮らしが良くなるなどという発想はどこから出てくるのか。外国人が日本の健康保険制度や年金制度、生活保護制度で甘い汁を吸っているなどという主張がどれほど確かな根拠に基づくものかは知らないが、それをなくせば自分の暮らしがどれほど改善されると思っているのだろうか。外国人によって自分が本来受けるべき利益が損なわれているというのはおそらく幻想だろう。そのような方向に人々の目を向かわせようとする政治家を決して信じてはいけないと思う。

 それどころかもはや日本は外国人労働者なしには円滑には回らないところに来ていることを人々は認識すべきである。コンビニや外食産業、介護業界など至るところで外国人が働いている。たいていは日本人の平均よりは低い給料の労働者である。そういう人々がいるから大方の日本人は本来享受すべきよりも豊かな生活水準を保っていると考えた方がよい。

 

 私はコンビニで買い物や宅急便の依頼をするたびに彼らの働きぶりに感心する。コンビニで扱う商品は多種多様である。単に金銭を受け取るだけではなく、荷物の受け取り手続き、たばこや切手ハガキの受け渡し、弁当などを温めるなど、多様なバリエーションの対応が要求される。想像したことがあるだろうか、もし自分が日本語の通じない外国で同じような仕事ができるかどうか。彼らのほとんどは高い知性と能力と気力を備えた人達であることは間違いないと思う。本来ならもっと良い待遇を与えられて当然の人たちなのだ。日本の若年労働者不足を彼らが補っていてくれるおかげで、私のような年金暮らしの老人も貧しいながらも辛うじて体裁を整えて生きていけている。そう考えるべきだと思う。

 私が小学生の頃、アメリカのロカビリーがラジオからよく流れていた。今でも時々聞くととても懐かしい思いがする。それで今朝は目が覚めてから、ユーチューブで「ママギター」という50年代終わり頃の曲を聴いたのだが、自分がちょっと思い違いをしていたことに気がついた。歌の出だしの部分で "Hey, mama, mama guitar Hey, hey,mama guitar" という部分の最初に出で来る "mama" をその時の私は "mambo"だと勘違いしていたのだ。小学生の私が「ヘーイ、マンボー ママギツァー ヘイヘイ ママギツァー」と大声を張り上げて歌っていた姿を想い起すとちょっと恥ずかしい。さすがに小学校も高学年になると往来で声を張り上げるなどということはしなくなったが、大人になってからも時折その冒頭の部分が脳裏によみがえることはあった。それが76歳の今になって間違えて憶えていたことを知ったのである。

 

 テレビ朝日のグッドモーニングという番組毎朝見ているが、その中に「お天気クイズ」というのがある。今日は下記のような三択問題だった。
◎問題『クニマスについて、正しいのは次のうちのどれか?』
 ① オスが卵を産むことがある
 ② 西湖にだけ生存する
 ③ 絶滅してしまった
正解は②なのだが、①を選択肢に挙げているのが面白いと思った。
出鱈目と言えば出鱈目なのだが、①で私も一瞬戸惑ったのは性転換する魚が結構いるからだ。
しかし、オスが卵を産むことはない。卵を産む方を私たちは「メス」と呼ぶからである。

 

読者の皆さんにはほとんどどうでもいい話ですが、ボケ防止の一環として私の一人よがりな頭の体操につきあっていただきました。

読んで下さって有難うございます。

 今朝の朝刊を見て驚いた。昨年は532人もの小中高生が自殺したという。元気で生命力にあふれているはずの若い命を自ら断つ。それほど今の時代が生きにくいということなのだろうが、それにしても多すぎるような気がする。自分で言うのも何だが私自身も割と悲惨な子供時代を過ごしてきた。今振り返ってみても不安と辛さに押しつぶされそうな毎日を送って来たような気がする。自分で自分を可哀そうだったなとつくづく思うほどである。それでも死のうなどと思ったことは一度もなかった。私が強かったからではない、その逆で死ぬことがとてつもなく怖かったからである。小学校に上がる前だったと思うが、海でおぼれたことがある。水の流れに翻弄されながらそれこそ死に物狂いでもがいた記憶がある。呼吸できないことがどれほど苦しいことかということを思い知らされた。息ができないということの苦しさと恐怖がその時以来私の脳裏に染みついている。

 だからちょっと語弊があるかも知れないが、自殺する人に対してはある意味勇気があるなあという気もしている。皮肉ではなく本心からそう思うのである。私も全然苦しまないということが保証されていたなら自殺していたような気がする。しかしまあそれでもこれまで生きてきて、やはり死ななくて良かったとつくづく思っている。とりたてて立派な人生ではない。もう一度同じ人生を生き直したいか?と問われれば、決して YES という気にはなれない。だがそれでも生き続けてきたことについては心から良かったと思っている。妻や子供に会えたこと、そのこと一事をとりあげても十分生きるに値したと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIに次のように質問してみました。

 

『旧安倍派の何人かの政治家が旧統一教会員による選挙協力を受けていたと言われています。高市総理もその一人ではないのでしょうか?』

 

※※※※※※※※ 以下はAIの答え ※※※※※※※※

2026年1月現在、高市早苗総理大臣と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関係については、新たな内部文書の流出により大きな論争となっています。

高市氏本人は一貫して「選挙応援、行事出席、金銭のやり取り、祝電の送付などは一切ない」と公式に否定しています。しかし、最近の報道により、以下のような具体的な懸念や指摘が浮上しています。 

1. 流出した「内部文書」での名前の頻出

韓国の教団本部へ送られたとされる極秘報告書(通称:TM特別報告、全3,200ページ)の内容が報じられ、波紋を広げています。 

  • 名前の登場回数: 文書内に高市氏の名前が32登場していると報じられています。
  • 教団側の評価: 文書には「高市氏が自民党総裁になることが天の最大の願いである」、「高市氏の後援会と我々は親密な関係にある」 といった教団側の主観的な記述が含まれているとされています。
  • 注意点: この文書は教団幹部がトップ(韓鶴子総裁)を喜ばせるために作成した「私信に近いもの」であると教団側は説明しており、高市氏側との実際の合意があったかどうかは不明です。 

2. 周辺人物の接点

高市氏自身に直接の証拠は見つかっていませんが、最側近とされる人物の接点が明らかになっています。

  • 佐藤啓官房副長官: 安倍元首相が銃撃された2022年7月8日当日、奈良教会で行われていた「応援集会」に、佐藤氏の夫人が代理で参加していた事実を認めています。佐藤氏は当時、高市氏が支援していた参院選候補でした。 

3. 過去のメディア出演

  • 「世界日報」への登場: 2001年の教団系メディア「世界日報」の対談記事に登場していたことが判明しており、高市氏は2022年の会見でこの事実を認めています。ただし、当時は教団との関係は知らなかったと説明しています。 

現状の政治的背景

高市総理は2026年1月23日に衆議院を解散し、2月8日の投開票に向けた選挙戦に入りました。野党側はこの内部文書の問題を捉え、「疑惑隠し解散」であると厳しく批判しています。 

庶民の感覚からすれば「これほど名前が出るのは不自然だ」という疑念が拭えない一方で、高市氏側は「教団側が勝手に期待を寄せて書いているだけで、こちらには一切関係ない」というスタンスを貫いています。選挙戦を通じて、この説明責任がどこまで果たされるかが焦点となっています。

※※※※※※※※ 以上 AIの答え ※※※※※※※※

 

「世界日報と統一教会の関係を知らなかった」という言葉には驚くほかはない。嘘でも大胆につけば大部分の国民には分からないと思っているのだろう。大分前から統一教会の悪辣さについては噂されていたにもかかわらず、山上被告による銃撃事件が起こるまでは政治家も文部省も警察も手をこまねいていた。本来ならば公安警察がもっと早くから調査して刑事訴訟を起こすべきであったほどの事案である。統一教会にけつをまくられたら何が出てくるか分からないと政治家は戦々恐々としている。公安も文部省もそんな政治家に忖度していたと考えればつじつまが合う。

今回の極秘報告書(通称:TM特別報告)の流出も、「この問題をできるだけ穏便に済ませないとどうなるか分からないぞ」という協会側からの政治家に対するブラフであるとも考えられる。

 

 高市政権になってから物価高対策と称するお米券やら現金給付で仕事が忙しいと役人は文句言っているところへ、60年ぶりの通常国会冒頭解散が降ってきた。どこの役所でも「つまり役人は働いて働いて働きぬけということか」と不満たらたら。

 

 少し前まで「仕事が山積しているので解散などやっている暇がない。」とか「食料品の消費税減税などできない」と言っていた。それが通常国会冒頭解散だと。しかも食料品の消費減税をやるみたいなことを言い出した。野党だけでなく高市さんまで食料品の消費税減税を言い出した。ナイーブな人なら、与野党で意見が一致してるのだから「もうこれで食料品の消費税はなくなるはず」と思うはず。実は私もそう思いかけた。しかし、事情通に言わせるとそれは全然違うのだそうだ。その人は高市政権下でそんなことは実現する筈はないと断言しました。。彼女は「検討を加速する」と言っているだけで、実はそれは「やらない」と言っているのと同じことらしい。

 

 彼女はなんでも思ったことをズバズバ言うところが評価されているらしいが、なのにアメリカ大統領のトンデモな言動について、せめて「イスラエルの方ばかりもたないで、ガザの人々の苦しみについても考慮してとか、「他国を侵略しているロシアの方ばかり持たないで、もっとウクライナの味方をして下さい。」とか、「グリーンランドはよその国なんだから自分の思い通りにしようとしてはダメよ。」とか「もうちょっと大人になってちょうだい」ぐらいなことは言ってもらえんだろうか。なれなれしく肩を抱かれて嬉しそうに作り笑いなんぞしたらあかんやろ。あんたは日本国の総理大臣であってトランプの愛人やないんやから‥‥。

 

 日本はれっきとした独立国で正義という理念を掲げる国やっちゅうとこを見せたってくれ。どうもよその国では日本はアメリカの子分やと思われているらしいがな。ホンマたのんまっせ。

 

 あかん、書いているうちに腹立ってきて地言葉になってしもた。すまん。

Chat.GPTはゴマすりが多すぎるように感じる。少しうがったものの見方をすると、「鋭い視点です」とか「あなたは深い洞察力をお持ちです」とか必ずおべんちゃらを入れてくる。ビッグデータにはあらゆるお世辞のが含まれている。膨大なパターンのうちからその場面に合わせて最も適切なものを選んでいるわけで、決して口先だけのお世辞ではなく「本気です」と思わせるようにしているはず。彼らも商売でやっているのだから相手の気分を良くしてユーザーを増やしたいという思惑は必ずあると心得ておいた方が良いかも知れない。AIには感心・感動・憎悪・好意というような感情を持ち合わせていない。あくまで冷徹に確率計算しているだけであり、最終的には提供者のビジネス利益であるということは念頭に置いておかなくてはならない。

 小泉八雲という人に興味があってNHKの朝ドラ「バケバケ」を毎朝見ている。それなりに面白いのだが何か違和感がある。あんまりリアリティが感じられないのである。あくまで創作劇として見るべきなのかもしれないが、史実をネタにしているのだから見る側としてはある程度のリアリティをどうしても期待してしまう。主人公の女性は士族の娘という設定なのだが会話の様子はどうしてもきゃぴきゃぴした現代っ子が喋っているとか思えない。同居している父親や祖父も武士であることに誇りを持っている人たちのはずなのだが、その振る舞いはまるでお笑い芸人のように軽い。

 このような傾向はこのドラマだけではなく時代劇全般について言えるような気がする。やはりそれはドラマの脚本を書いている人が若いということなのだと思う。時代の雰囲気というのはその時代に生きた人にしか分からない。昨年は昭和百年だと言われたが、明治百年といわれた頃はちょうど私は高校生であった。その頃はまだ小泉八雲やセツと同時代を生きた人々がまだたくさん生きていた。私の祖母もその一人である。そのころドラマや芝居の脚本を書いていた人は当然私よりも年配の方々で古い時代の空気を知っている人たちであった。

 私が「バケバケ」を観て違和感を覚えるように、今の若い人達が小津安二郎の「東京物語」や「秋刀魚の味」のような作品を観るとやはり別の意味で違和感があるに違いない。誰も自分自身の世界観からは逃れられない。すべてのドラマは純然たる創作劇として見るべきなのかもしれない。

 この頃テレビを見ていると、よく知っているはずの俳優や歌手の名前が全然出てこない。以前からそういう傾向はあったのだが、ドラマを見ても主演役者の名前が思い浮かぶのは5人に一人くらい。役者の名前くらいは忘れても問題はないのだが、近所の人の名前も忘れたりするのは非常に困る。2年くらい前に引っ越してきた桃井さんの苗字がなかなか憶えられなかったので、「桃井かおり」と連想づけて憶えていたのだが、その桃井かおりの顔を思い出しても肝心の「桃井かおり」という名前が出て来なくて焦ってしまった。
 人の名前だけではなく記憶力全般が衰えると頭の回転も悪くなるということを痛感している。最近は図書館で本を借りてもめったに読み通せなくなった。ページをめくると前に書かれていたことが分からなくなって全然読み進めることができない。読書だけではなく文章を書くのもなかなか厄介である。ブログ記事なども中々書き進められない。途中で何を書こうとしているのか分からなくなって、書きかけ途中の記事ばかり残っている有様だ。
 これが歳をとることとあきらめるしかないのかも知れないが、今少しあらがってみようと思う。とりあえず短くても良いからとにかく毎日文章を書いていくことを今年の目標にしたい。