さだまさし 「飛梅」 の解説と考察 | 俳句銀河/岩橋 潤/太宰府から

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さだまさし(敬称略)の LP レコード『風見鶏』が発売されたのは1977年で、当時私は小学生。

彼の歌を知りファンになったのは中学の時。

きっかけは、従兄が「いい歌だから聴いてみ」と貸してくれたカセットテープで、そのラベルにはアルバムタイトルの『風見鶏』が記されていた。

カセットテープを聴き終わらないうちに、さだまさしの歌世界にすっかり魅了された。

 

LP レコード『風見鶏』のジャケット

 

『風見鶏』の中でどの歌が一番好きかと聞かれると選ぶのに困るくらい好きなアルバムだが、生まれてこのかたずっと太宰府に住んでいる者としては「飛梅」に特別な思い入れがある。

高校の時、太宰府天満宮でのコンサートに抽選で当たり、直に「飛梅」も聴くことが出来た。

 

さだまさしのアルバムでは、1976年発売の『帰去来』から2011年発売の『Sada City』までは “作詞” ではなく “作詩” と記されていたので、記事では “歌詞” ではなく “歌詩” と記載する。

 

 

心字池にかかる 三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が現在(いま)

西鉄太宰府駅から東に延びる参道を一番奥まで進み、鳥居をくぐって北に折れると、心字池にかかる一つ目の橋(「過去」を象徴する橋)。

連続する三つの石橋のうち、二つ目の「現在(いま)」を象徴する橋だけが平坦。

 

<一つ目の橋> Google マップより

 

<二つ目の橋から心字池を眺める> Google マップより

 

一つ目と三つ目の橋はアーチ型で、石段を上るほど段差が小さくなり、初めて訪れた人は戸惑うかも。

そのため、歌詩に 三つ目の橋で君が 転びそうになった時 とあるようなことも起きるだろう。

「未来」を象徴する三つ目の橋では、転ばないように気を付けたい。

 

初めて君の手に触れた 僕の指

さだまさしによる歌詩では、恋愛の描写はプラトニックなものに限られると言って良く、“キス” や “くちづけ” でさえアルバム『風のおもかげ』「転校生 (ちょっとピンボケ)」やアルバム『心の時代』「秘密」に見られるくらい。

 

手を合わせた後で 君は神籤を引いて 大吉が出る迄と も一度引き直したね

登り詰めたらあとは 下るしかないと 下るしかないと 気付かなかった

この部分、初めて聴いた時は衝撃的だった。

大吉が出る迄引くというのはあるかもと思いながら聴いていると、何事も頂上に立った後は下るだけという当然のことに繋げて、それを二人の仲の前途を暗示する意味に転換している。

 

天神様の細道

天神様と崇められている菅原道真(道真公)

“天神様の細道” は童謡「通りゃんせ」に登場するが、「通りゃんせ」の歌の舞台は太宰府天満宮ではない。

さらに、太宰府天満宮には “天神様の細道” と名の付く場所は見当たらない。

しかし、本殿と楼門とをつなぐ回廊の東出入り口を出ると回廊沿いに小径があり、本殿の横まで進んだところに「梅の種」納め所がある。

「梅の種」納め所の立て札には『古来より、天神さまが宿ると言い伝えられております梅の種を粗末にならぬ様に納める所です』と記されている。

私は、さだまさしはこの小径を 天神様の細道 と歌ったのではないかと想像している。

 

<回廊の東出入り口から小径に出て本殿の方を見る> Google マップより

 

<「梅の種」納め所> Google マップより

 

回廊の内外を行き来するには、楼門、回廊東西の出入り口、本殿の左右にある出入り口を通る。

本殿から裏庭へ移動するには、本殿右手の出入り口(下画像の 6)からが一番近い。

ところが、二人が参拝した後で(手を合わせた後で)彼女は 神籤を引いて いる。

神籤販売機は本殿の近くではなく楼門の近くにあるので、二人は一度楼門の方へ戻ったことになる。

従って、二人は神籤を引いた後、回廊の東出入り口(下画像の 2 または 4)から回廊沿いの小径へ出て、「梅の種」納め所の前を通り裏庭へ向かった可能性がじゅうぶん考えられる。

 

<本殿、出入り口 1 ~ 7、神籤販売機、「梅の種」納め所の位置> Google マップより

裏庭は、厄晴れひょうたん掛所から画像の上方へ進んだところにある

 

裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って 君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を喰べた

太宰府名物の梅ヶ枝餅は、たっぷりの粒餡を餅生地で包み、鉄板(焼型)に挟んで焼いた焼餅で、西鉄太宰府駅、参道や裏庭などにある多くの売店や食事処で求めることが出来る。

持ち帰りの場合、冷めて皮が硬くなった餅は、1個ずつビニルで包装されたまま皿にのせて電子レンジで短時間温めると、出来立て時のように軟らかくなる(中の餡が熱くなるので、口の中の火傷に注意)。

お石茶屋は裏庭を抜けて右手の坂の途中にあり、私は子どもの頃よくうどんを食べた。

その先の寶満宮参拜隧道(銘板表記字体のまま記載、愛称: お石トンネル)を抜けて、宝満通り(県道578号内山三条線)のゆるやかな上り坂を 1.6 km ほど進むと、竈門神社下宮の鳥居に着く(上宮は宝満山山頂にある)。

鳥居から拝殿までの参道は 200 m(石段と平坦部)。

 

<梅ヶ枝餅> 参道にある「茶房きくち」のウェブサイトより

 

道真公大宰府(当時は太宰府ではなく大宰府)に配流されて住んだ粗末な館の跡は、現在は榎社となっている。

館の近所に道真公のお世話をした老婦人がいて、食事を差し入れる時に梅の枝を添えたのが梅ヶ枝餅の由来といわれる。

老婦人は亡くなった後、人々から敬意を込めて浄妙尼とよばれ、榎社の社殿後方左手にある小さな祠(浄妙尼社に祀られている。

太宰府天満宮の最大の神事「神幸式大祭」(どんかん祭)では、道真公の御神輿が榎社へ下り、御旅所に入る前に浄妙尼社へ挨拶する場面浄妙尼社奉幣の儀がある。

 

来年も二人で 来れるといいのにねと 僕の声に君は 答えられなかった

主人公は 来年も  と言ったのであり、「また」ではない。

「また」では次回までの期間に長短の幅があり意思の曖昧さが表れるが、来年も  では1年ほどの時間が経ってもという明確な意思が感じられる。

来年も  に込められた主人公の彼女への気持ちは真剣で、1年後だろうと(それ以上でも)気持ちは変わらないことを告げたかったのではないか。

しかし、主人公は、思いがけず二人の仲が終わりに近づきつつあることを知ってしまった。

それも、初めて君の手に触れた その日に ・ ・ ・。

 

歌の内容からは逸れるが、来れる は古くからある “ら抜き言葉” の代表的なものの一つで、正しくは「来られる」。

 

時間という樹の想い出という落葉を 拾い集めるのに夢中だったね君

ここから、さだまさしの歌声とギターの音に力が込められる。

「恋愛症候群」の歌詩に 毎日が二人の記念日になる とあるように、恋愛中は二人の出来事のすべてが輝いて心が満たされるもの。

 

あなたがもしも 遠くへ行ってしまったら 私も一夜(ひとよ)で飛んでゆくと云った

忘れたのかい 飛梅

大宰府に配流された道真公を慕って、都の邸宅の庭に植えられていた梅が空を飛んで一夜にして大宰府に着いた』という飛梅伝説になぞらえて、「あなたと離れない」とまで言っていた彼女の心変わりに対する主人公の想いがほとばしっている。

 

歌詩は、ここまでが過去形で綴られ、彼女との思い出を回想している。

 

或の日と同じ様に 今 鳩が舞う からは現在形で綴られ、 は 或の日 から1年ほど経った春で、彼女は既に去っている。

 

東風吹けば 東風(こち)吹かば君は 何処かで想いおこしてくれるだろうか

主人公の胸の内が、道真公が詠んだ和歌  東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな  から “本歌取り” した巧みな歌詩によって描かれている。

 

太宰府は春 いずれにしても春

本殿の正面右手にある飛梅の開花は、太宰府に春の到来を告げる。

 

<自宅庭のウメ> ウメは太宰府市の花に指定されている

 

 

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