恐竜とスズメ | 俳句銀河/岩橋 潤/太宰府から

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4月17日は 「恐竜の日」 だということで、日本で初めて恐竜の骨が見つかった日なのかと思ったら、外国でのことだった。

アメリカ人の ロイ・チャップマン・アンドリュースらの探検隊が、 1923年6月13日、ゴビ砂漠で世界で初めて恐竜の卵の化石を発見したのを記念して、探検隊が北京を出発した4月17日を 「恐竜の日」 に。
 
私が小学生の時に恐竜の一大ブームが起きて、図書館での読書の時間が来ると、生徒たちは我先に恐竜の図鑑を取りに走った。
その頃の図鑑では、アンドリュースが発見した卵は角竜類のプロトケラトプスのものとされていて、描かれた図にもプロトケラトプスの親が巣の卵を守っている姿が描かれていた。
しかし、発見から70年以上も経って、実はその卵は獣脚類のオヴィラプトルのものだったと判明。
 
子どもの頃に描かれていた恐竜の姿は、草食恐竜は緑色や茶色、肉食恐竜はこげ茶色~黒色、濃い青色などに塗られていた。
恐竜たちは長い尾を地面につけて引きずりながらのそのそと歩き、有名なティラノサウルスなどの大型肉食恐竜はゴジラのように立ち上がった姿で描かれていた。
1981年、TAMIYA から発売されたプラモデルのティラノサウルス (下画像) をつくった記憶がある。
箱の絵のように、現在の科学が明らかにした姿とは違っていた。
 
1993年発売の TAMIYA のプラモデルでは、完成品は下画像 (TAMIYA より転載) のようになる。
 
子どもの頃の図鑑の説明では、最長の恐竜は30メートル前後のディプロドクス、最も重い恐竜はブラキオサウルス (映画ジュラシックパーク第1作で樹に登っていた少女に鼻水をぶっかけた) で、いずれも竜脚類に属する草食恐竜。
数メートル~10メートル近い長い尾を、かつてはやはり地面につけて歩いたと考えられていたが、現在では、長い首とバランスを取るように地面につけずピンと伸ばし、4本の脚を支柱にしたつり橋のような姿だったと考えられている。
 
 
恐竜の姿勢は明らかになってきたが、未だ謎が多いのが皮膚の色。
あの、子どもの頃の図鑑のように暗い色で全身を描かれた恐竜たちは、実際には現在に生きる動物と同じように、異性に求愛したり、敵を威嚇したり、身を守るためにカムフラージュしたりと、様々な目的の色彩をしていたと考えられるようになった。
ティラノサウルスもそうだが、全身あるいは体の一部に羽毛をもっていたものもかなりいたようだ。
 
現在、羽毛をもっている動物といえば鳥。
鳥は、恐竜のうち獣脚類から進化したと考えられている。
系統樹で表すと、獣脚類におけるティラノサウルスの直系ではなく、ティラノサウルスと共通の祖先から分岐した系統の子孫とされている。
 
我が家では時々、庭の山茶花の下の石の上に冷やご飯を置いている。
スズメたちが来て、仲良く時には喧嘩しながら食べている様子が面白い。
尾をピンと上げて他のスズメたちを威嚇して独り占めしようとするやつ (リーダー?) もいるし、時にはやつに歯向かうスズメもいる。
数年前まで来ていた一羽は特になついて、冷やご飯を置いている傍に降りてきたり、玄関に入ろうとして振り向くと足元についてきたり、休日の朝ゆっくり寝ていると、ベランダの柵に留まって部屋の方を向いてしきりに囀ったりしていた。
今来ているスズメたちも、私を見かけると近寄って尾を振ったり、ヒヨヒヨと甘えた鳴き声を出したりする。
巣立ちしたばかりの幼鳥を連れてくる親スズメもいる。
冷やご飯をめぐって時々喧嘩するスズメたちも、一羽でいる幼鳥や幼鳥にご飯を与えている時の親スズメには手を出さない。
なれた親スズメになると、雨の日に2羽の幼鳥を居間のサッシ窓のすぐ前 (雨が防げる場所) に残して留守番させていたこともあった。
こんなスズメたちに、恐竜の王者といわれるティラノサウルスと同じ先祖がいるとは、生物進化とは実に不思議であり興味深い。
 
今日も冷やご飯をもらおうと来ているスズメ
 
<参考>
コウモリのような翼をもち空を飛んだ翼竜 (プテラノドン、ランフォリンクス、ケツァルコアトルスなど)、そして首長竜 (プレシオサウルス、エラスモサウルスなど) やモササウルスなどの通称 “海トカゲ” の仲間を含む海棲爬虫類は、恐竜ではない。