オーディオ界が現在とは比較にならない程の活況を呈していた頃を、高校生として過ごした私のオーディオ熱はピークに達していた。
小学生の頃までは、家にはオーディオといえば YAMAHA の家具調ステレオ SS-70 と SANYO のモノラルラジカセ MR2400 (ブログリンク) くらいだったが、高校生時にはアンプは YAMAHA A-2000 (ブログリンク)、スピーカーは ONKYO Monitor 100R、CD プレーヤーは TECHNICS SL-P10、レコードプレーヤーは DENON DP-55L、チューナーは PIONEER F-120、カセットデッキは AIWA AD-FF8 と充実したものになっていた。
通った高校は、西鉄大牟田線の大橋~高宮間の、電車の窓から西に見える丘を登り始めた所にある県立高。
カリキュラムの 「音楽」 を担当していたのは、ブラスバンド部の顧問でもあった松田先生。
ロマンスグレーの洒落た印象の先生だった。
音楽の第1回目の授業で、音楽室に入ると、前面の壁の左右、高い場所にスピーカーが設置してあり、それが YAMAHA SS-70 のスピーカーだったので驚いた。
そのことを先生に話すと、私がオーディオに興味を持っていると知って、音楽室のドア向こうの教員室に入れてくれた。
そこにはアンプ、レコードプレーヤー (機種名は失念)、そしてカセットデッキがあった。
そのカセットデッキ、私が AD-FF8 を買う時に購入候補だった、YAMAHA K-1d。
<オーディオの足跡より転載>
当時の YAMAHA カセットデッキの旗艦機で、いかにもヤマハ・ビューティーのデザインが美しかった。
ノイズリダクション (ブログリンク) に dbx と Dolby B を搭載していた。
私が先生に 『これ、好きなんですよ! dbx も付いていますし』 と言うと、先生が 『dbx って、何?』 と聞かれたので唖然とした。
まあ、音楽室ならソフトを再生するだけで録音はしないだろうから、知らなくても仕方ないかと思った。
高校入学は1982年のことだが、この年はオーディオ界にとってエポックメイキングな年。
CD の登場だ。
各社 CD プレーヤーの第1号機を発表し、松田先生は音楽の授業用費で SONY CDP-101 を購入。
<オーディオの足跡より転載>
プレーヤーが届いた後の初めての授業の日、先生は嬉しそうに 『CD プレーヤーを買いました。 これです』 と見せてくれた。
その後も、先生からオーディオに関する相談を持ち掛けられることがあった。
音楽鑑賞で、武満徹の 「ノヴェンバー・ステップス」 がかけられたことがあったが、私を含めて生徒のほとんどには難解で暗い曲との印象だった。

