夜が深まるころ、
空の満月が、ゆっくりと影に飲み込まれていった。
境内は静まり返り、
梅の花びらさえ、息をひそめている。
チャップは石段の上に座り、
じっと空を見上げていた。
いつもの銀色の月が、
少しずつ、赤銅色へと変わっていく。
それはまるで、
世界の裏側がそっと現れる瞬間のようだった。
火星が魚座へ移ったせいだろうか、
空気はどこかやわらかく、
心の奥の涙まで溶かしてしまいそうな静けさに包まれている。
皆既月蝕――
光が隠れるとき、
本当の願いが浮かび上がる。
チャップの胸の奥にも、
ひとつの小さな不安があった。
このままでいいのかな。
ちゃんと進めているのかな。
けれど、赤い月は語りかける。
「反転は、失うことではない」
「裏返すことで、本当の面が見えるのだ」と。
光が消えたのではなく、
地球の影に守られているだけ。
そう思ったとき、
チャップのひげが、ふっと揺れた。
影の時間は、
終わりではなく、通過点。
赤い月はやがて、
また静かに銀色へと戻っていく。
運命が反転するとは、
大きく変わることではなく、
見方が変わることなのかもしれない。
梅の花が一枚、
チャップの背中に舞い降りた。
赤い月の下で、
チャップは小さく目を閉じる。
「大丈夫。」
声には出さないけれど、
確かにそう思えた夜だった。
蝕のピークを越え、
春は、もうすぐ本番。
そして物語も、
少しだけ強く、
少しだけ自由になった。
#皆既月食
