青杉のブログ

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日記というか、メモというか。

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本日は1人"早朝"出発の旅ではなく、ただの一人旅。
9:00に家を出る。行き先はただ一つ、武田信玄のお墓がある「恵林寺」。
勿論、ルートは一般道のみ。片道は安定の120km。

途中、笹子峠の「矢立の杉」に立ち寄る。その昔笹子トンネルなどの無かった時代、武田軍も関東遠征の際はここ旧道を通った事だろう。信玄もこの木を眺めたはず。など思いを馳せる。


このような寄り道した事と出発が遅かった事もあり、恵林寺到着は出発から3時間半後の12:30。

山門前に車を停めたが、なんとも荘厳な佇まいである。


更に歩いていく。こちらの山門も素晴らしい。


先ずは開山された和尚様や、信玄公がお世話になった和尚様方々の像を拝む。

祀られている方の1人(お世話になった和尚)は「快川紹喜」。信玄が招きこのお寺に入られた方。信玄は彼を敬愛し信玄自身の葬儀もこの快川紹喜和尚が執り行った。また、信玄で有名な「風林火山」の軍旗を書いた人らしい。お寺の宝物殿にもあります。
※写真撮影不可だったので以下参照。

又、このような史実もあるようです。
織田信長に追われた反織田の者がこの寺に駆け込む。織田軍はその者の引き渡しを要求する。しかし快川和尚はそれを拒む。怒った織田軍は恵林寺に火を放つ。和尚は火に包まれ焼死します。
その際に語った以下の言葉、
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」
はとても有名です。

加えて余談ですが、この和尚様はあの明智光秀と同じ地の出身の同族のようです。
1582年4月 恵林寺で快川紹喜和尚が織田に焼かれる
1582年6月 本能寺で織田信長が明智光秀に焼かれる
これは無関係と言っていいものだろうか。

話を戻します。拝観料を300円払い、武田不動尊を拝みます。その裏手にある武田信玄のお墓はなんと、月命日にしか公開していない事を今日知ったが、なんと幸にして今日は武田信玄の命日(4月12日)の月命日ではないか!
これはなんという偶然か。信玄公が私を招いたのか。などと自分勝手な思いを抱きながら、墓前で手を合わせます。

館内、要所での写真撮影はNGなので写真は少ないがとても良いお寺でした。

御朱印も頂きましたが、実は金色の御朱印が月命日の12日には頂ける事を家に帰ってから知りました。
また行く理由ができました。

参拝後、境内にある武田信玄宝物殿でゆっくりと武田家ゆかりの品を拝見して、隣の土産物屋で山菜そばを頂きました。


帰路は道の駅や、笹一酒造の醸造所などに立ち寄り信玄餅やら日本酒やら買い込み、18:00には帰宅できました。

まだまだ、信玄ゆかりの地を巡りたいです。