仁川(インチョン)空港からリムジンバスでソウル市内に向かって、ホテルにチェックインして時計を見たら、11時を回っていた。サブは、軽い食事をしたいとも思ったが、ビールを飲んで寝る事にした。一人で出かける元気も残っていなかった。



翌朝、朝食を済ませて8時にロビーにいると、30代ぐらいの韓国人がホテルに入ってきた。


「テック・ジャパンの森澤さんですか?」

その韓国人が、サブに話しかけてきた。

サブが応えた。

「スルソンのアンダーソンさんですか?」

お互いに挨拶して、名刺を交換した。


アンダーソンは、左手を右手の肘に沿えながら名刺を差し出してきたのでサブは少し驚いた。さすがに儒教の国柄か礼儀正しいと思った。

それに、韓国人も欧米風のファースト・ネームを使っているのかと思った。

台湾人もシンガポール人も同様である。

なんで、自分の本名を使わないのか不思議であった。



スルソン電子には、アンダーソンの車で工場に連れて行ってくれた。

1時間ほど走ると、工場の受け付けに着いた。

受付でのセキュリティー・チェックが厳しいのにはビックリさせられた。

パソコンとカメラの登録をさせられた。日本でもこれほど厳しくチェックする所はあまりないと思った。


一番驚かされたのは、工場の大きさであった。道が一直線に工場の真ん中を通っており、数キロはありそうでした。実際、事務所に案内されるにはさらに車で5分ほどドライブした。

「こんなでかい工場で製造して居るのか」と、サブは度肝を抜かれた。

これじゃ製造工スト競争では、日本は勝てないと思った。

2桁は違うと思った。

価格競争力は、製造量・規模で優劣が決まるからである。



会議室に入ると、5人の韓国人が待っていた。

マネージャ風の一番偉そうな、30代後半の韓国人が前に出て来てサブに名刺を差し出した。

「マネージャのヒュー・リーです。」

リーさんもアンダーソンさんと同じように左手を右手の肘に沿えながら名刺を差し出している。これが韓国では敬意を表す所作なんだと理解した。

それから、他のメンバーとも名刺を交換して着席するとリーさんが云った。

「わざわざ日本から来社いただきありがとうございます。

今日のお打ち合わせですが、日本語でやりますか、それとも英語でしょうか!?」

サブは、気押されながら答えた。

「日本語でお願いします。」



「了解しました。

今日のお打ち合わせは日本語で行います。」

と答えた後に、アジェンダとスケジュールがリーさんから提示された。

それから、スルソン電子の会社概要、工程、課題などがプレゼンされた。


そして、今回の目的である、製品出荷予定である。



リーさんから、製品の出荷スケジュールが提示された。

「本社と相談しますので、電話を掛けさせて下さい。」

サブは、山本課長に電話した。

「ハイ、山本です。サブちゃん電話待っていたよ!

出荷予定はどんな感じ?」

「森澤です。今、先方から提示がありました。申し上げます。」

「今週は、これで大丈夫でしょ!来週分を後10000台上乗せして貰って下さい。

それで、調整できます。」

「了解しました。もし、厳しい場合どうしたら宜しいでしょうか?」

「その場合は、今週はそっちで粘って下さい。」

「マジですか!?」


「リーさん、来週の出荷をあと10000台上乗せ頂けませんか?」

「もし、厳しい場合はどうなりますか?」とリーさんが聞き返した。

「私、帰れません・・・残って調整します。」

とサブが応えた。

「分かりました。一旦休憩して、午後1時からやりましょう。」


リーさんは、何やら部下に指示を出した。

部下は、了解したようにうなずいて席を立った。

韓国語だったので、サブには意味は分からなかった。


別室にランチが用意されていた。

リーさん、アンダーソンさんと一緒にランチをして1時に会議室に戻ると、先程リーさんが何やら指示をした部下がリーさんに耳打ちした。

そして、リーさんが云った。

「テック・ジャパンさんには参りました。森澤さんに居座られては、私たちは仕事になりません。来週分10000台の上乗せて出荷します。」

今週は、韓国での連泊を覚悟していたから、サブはあっけにとられた。

思ったより、簡単だったからだ。

嬉しさを隠さずにサブはお礼を云った。

「リーさんありがとうございます。」



山本課長に、報告の電話を入れた。

「来週分10000台上乗せ出荷して貰える事になりました。」

「良くやった。ご苦労さん。出荷予定はメールで送って下さい。

今日は、ゆっくりして明日の便で帰ってきていいから!」

「分かりました。明日の午後には出社できると思います。」



「韓国の出世競争は、熾烈ですよ!」

アンダーソンさんが云った。

「そんなに大変なんですか!?」

サブがほろ酔い加減で聞いた。


「韓国人は、常に激しい競争にさらされています。

1997年の金融危機でIMF監督傘下になってから一層加速しました。

中小企業が軒並み倒産して巷に浮浪者があふれましたから、学歴、大手企業信仰が一層増したのです。

大学受験は当然ですが、大学を卒業しても就職できない学生が溢れています。

だから、英語を勉強してアメリカで就職する人も少なくありません。

実際2011年の大学院生の就職率は48%でした。

学歴社会は日本よりも激しいと思います。大手企業は、ソウル大学、高麗大学、延世大学からしか採りません。大学の就職率はもっと悪と思います。

大手企業に入れても、出世競争は終わりません。むしろ加速して居るぐらいです。同期は40歳ぐらいまでに数人に絞られます。トップに成れるのは一人だからです。みんな止めて行きます。そして、新しい人材が次々に入ってきます。」



サブは、アンダーソンさんに誘われて食事に来ていた。

二人は気があったのか、杯が進み盛り上がっていた。



「そんなに厳しいのですか!

日本なんかぬるま湯社会ですネ。

でも、御社は事業部長に成る人は1年間の自由研修があると聞きましたよ。

世界中どこへ行っても良く、好きに生活出来ると聞きました。」


「それは、事実ですが、出世競争に勝った人へのご褒美です。

スルソン電子は、これからは世界中に製品を売って行かなければなりません。そのためには、地域の文化、習慣を知っておく必要があります。だから、ご褒美とは云っても、事業部長の仕事に直結して居るのです。でも、それでも決して終わりではありません。

新製品開発でも、常に2つのチームで競争させていまし、結果が出なければ替えられます。

負ければそれまでです。」



「最近、韓国ではベンチャー企業が多く立ちあがってきていますよね!」と、サブが聞くと。


「韓国のベンチャー企業が上手く云っているのは、このような人材の受け皿になっている事と政府の助成金のお陰です。昨日まで、第1戦で開発して居た技術者がベンチャー企業に移って新しい技術を開発して居ます。これは成功する確率は高く成って当然です。

ビジネス市場、技術動向、競合状況など環境も市場も熟知して居るのですから。

どんな技術が必要で、もとめられる商品が分かっているのですから。

昨日まで、自分が探していたソリューションを提供する側になるのですから、やるべき事は事前に分かっているのです。それを政府が助成金として支援してくれます。

その上、それが出来れば最大手であるスルソン電子が買ってくれるのですから!」


「成るほど、ベンチャー企業が成功する流れが出来ているのですネ!日本のベンチャー企業は、後退したようです。ベンチャーキャピタルが銀行と同じレベルになったと先輩が云っていました。ベンチャーキャピタルなのに技術の目利きは出来ないし、お金を出すのに担保を要求するとも云っていました。


でも、韓国の時代は当分続くでしょうね!」


「サブちゃん、今日は飲みましょう!」

アンダーソンさんが乾杯の都度注ぐので、調子に乗って今日は飲みすぎたサブでした。