山口小夜子に学ぶ | トニーの成幸ブログ

今日紹介する女性は、

神奈川県横浜市に生まれた。

 

小さな頃からオシャレが好きで、

いつも目立つ格好をしていたため、

よくイジメにあった。

 

そのため、友達も少なく、

孤独な少女時代を過ごした。

 

高校卒業後、服飾デザイナーを志し、

専門学校に通う。

 

学生時代、仮縫いモデルを

依頼されたことがきっかけで、

ファッションモデルになることを決意。

 

専門学校を卒業後、

モデルのオーディションを多数受ける。

 

当時の彼女の純日本人的な風貌から

ファッション業界には受け入れられず、落選の日々。

 

それでもモデルになることを諦められず、

何年もオーディションにチャレンジし続けた。

 

「もうこれが最後だ」

と決めたオーディションで、

当時、新鋭気鋭のデザイナーとして活躍中の

山本寛斎の目に留まる。

 

黒髪のおかっぱ髪。

細く切れ長の目は、モデルとしては異例。

 

それでもパリコレにデビューを果たした。

 

当時のモデルは、大きな目で

キュートな顔立ちが当たり前の中、

彼女の切れ長の目と黒髪のおかっぱ髪は

「東洋の神秘」と称えられ、注目を浴びる。

 

ニューヨークコレクションにも出演し、

雑誌『ニューズウィーク』の

世界のトップモデル6人にも

アジア人ではじめて選ばれた。

 

彼女の名前は、山口小夜子。

 

1970年代には、

ヨーロッパで熱狂的に支持され、

SAYOKOマネキン」という

マネキン人形が欧米のブティックを

席巻した。

 

現在でも世界中で

ショーウィンドウに飾られた

切れ長の目マネキンを目にするが、

彼女をモデルにしたところから続いている。

 

芸能界でも、中森明菜が『desire』を歌った

の時のコスチュームも彼女の影響だろう。

 

その後、彼女は舞台や映画、

ダンスや服飾デザイナーとして活躍するが、

50歳を過ぎてから突如表舞台から姿を消す。

 

そして、57歳の時に、

ショーのランウエイを歩いていた頃、

お世話になったカメラマンの元に

「写真を撮って欲しい」と連絡が入った。

 

その時の衣装デザインからメイクアップまで

自ら一人でこなし、撮影は10分程度で

終わったそうだ。

 

その時のカメラマン曰く、

「人生の集大成ともとれる、

圧倒するものを感じた」と語っている。

 

彼女は撮影の10ヶ月後に

病気でこの世を去る。

 

撮影した写真は最後の一枚となった。

 

もしかしたら、自分の死期を

何処かで感じていたのかもしれない。

 

彼女は最後の写真の題名を

『かぐや姫』とつけている。

 

この世と別れ、月に帰ったという

メッセージだったのだろうか?

 

添付がその最後の写真。

 

何かを感じ取れますか?

 

良い週末をお過ごしください。