ビリー・ジョエルに学ぶ | トニーの成幸ブログ

男はドイツで生まれたが、
両親がナチスから逃れるためアメリカに亡命した。

幼少期はニューヨークの新興住宅地で育つ。

父はクラシック音楽のピアノ演奏に長け、
母からのススメで男はピアノを習い始めた。

少年時代はいじめられることもあり、
自衛のためにボクシングを習う。

アマチュアボクサーとして試合に
出場するようになったが、
試合で鼻の骨を折られ、断念した。

高校時代、
バーでピアノ演奏のアルバイトとして
働いていたため、勉強が疎かになり、
単位を落として中退。

その後、仲間とバンドを組み、
ミュージシャンとしての活動をはじめた。

毎日、場末のクラブで歌っていたが、
全く人気が出なかった。

しかし、途中で腐ることなく、
毎日続けた結果、
コロムビア・レコードと
契約することが出来た。

しかし、アルバムを2枚発表するが、
鳴かず飛ばずで解散する。

この頃、うつ病に悩まされ、
極度の神経衰弱から精神病院に入院をする。

その後、ある音楽プロデューサーに
才能を見出され、レコードアルバムを出して
ソロ・デビューするが、
またもやヒットすることなく、
うつ病がさらに悪化し、引きこもりとなる。

引きこもりの期間は2年にも及んだ。

その後、再デビューを果たし、
5枚目のアルバム『ストレンジャー』
でようやくヒット。

総合で1,000万枚以上も売り上げ、
ダイアモンドディスクにも認定された。

しかし、喜びもつかの間、
オートバイ事故で重傷を負い、
1年にもおよぶ入院生活を余儀なくされる。

また、長年マネージャーとしても
支えてくれた妻と離婚。

多額の慰謝料も払い、
再びどん底人生に。

数々の災難が続いたが、
ミュージシャンだけではなく、
映画の声優にも挑戦し、
とにかく積極的に取り組むことに心掛けた。

その地道な努力で、
シンガーソングライター、歌手、
ピアニスト、作曲家として
数々の実績を残し、

全世界で1億5000万枚以上の
レコードセールスを記録。

男の名前は、ビリー・ジョエル。

その代表曲は数多く、
「ストレンジャー」、「ピアノマン」、
「素顔のままで」、「アップタウン・ガール」、
「オネスティ」などがある。

人生、七転び八起き。

転んでも、転んでも、
また起き上がること。

そんなことの繰り返しで、
晩年は穏やかで幸せな人生を送れるのです。

良い週末をお過ごしくださいね。