NHK朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルとなっている牧野富太郎博士。
太平洋戦争中末期に、練馬から山梨県韮崎市へ疎開していたとのことですが、このたび疎開先の家を探してみました。
下調べののち、スーパーカブ・C125でGO!
書物にある「穂坂 宮久保」を頼りにカブで走り回り、地区の人4人に尋ねてようやくたどり着きました!
古民家の軒先にカブを置かせていただきました・・・
さて、古民家「宮久保」さんは民泊もできるレンタルスペースらしい。
住所は 山梨県韮崎市穂坂町宮久保5438 です。
下記のURLにメールアドレスがあります。メールかインスタグラムで連絡らしいです。
https://miyakubo-yamanashi.com/
古民家を管理してる有泉さんに案内して頂きました。
なお、有泉さんは110のカブに乗っているらしく、「ゆるキャン△」も「スーパーカブ」も観てるらしいwww
牧野博士がいた蚕倉はもうなくて、その場所に22年前に先代が建てた歌碑がありました。
牧野先生がいた韮崎のお住まいは・・・。
以下、資料より
K:穂坂村のお住まいは、どんな様子だったのですか。
S:戦争の終わりのころですから都会から移って行く人が多くて、田舎でも空いた家がなく、やっと見つけて先生をお連れしたところは、天井が高く広々とした蔵だったんです。
ところが、外側から見ると何でもないけれども、中に入ると梁も柱も真っ黒なの……火事で焼けたらしくて、私びっくりしました、気味わるくて……。
畳があるわけではないし、床にゴザを敷きましてね。
窓も、蔵の鉄格子のはまった窓でしたが、まず最初に、その下に本を入れて持っていった木箱を空けて置き、その上に白い紙を敷いて、とりあえず先生の勉強部屋を作ったの。
そしてその机の上に、顕微鏡と、読みたいという本を五、六冊ほど積んで、机の前に座布団を置いてあげたら、先生は何だか不安そうな表情でしたけれども、その机の前に座ってくださったんですよ。
でもね、住まいのことはまだいいの。食べる物が何もないんです。
それで、すぐ食べられる野草を探しに行ったわけ。アカザは一本も見つからなくて、それでも食べられそうな草で、おみおつけを作りました。
栄養になる食べ物を、せめて先生だけにでも食べさせたいと思って、着物を持って行って農家の人と卵に取り換えたんですけれど、着物一枚で、卵が三つでしたよ、あの当時は。
そして一週間ほど、先生たちとご一緒してから、私は東京へ引き返したんです。
・・・大変だったんだ・・・
「草を褥(しとね)に木の根を枕、花を恋して五十年」牧野富太郎
植物研究の五十年を回顧して詠んだ句。自叙伝の終りに詠んだ歌。
(しとねとは寝たりするときの敷物の古風な呼称。)
先代の方が、2001年3月にこの歌碑を建てたそうです。
穂坂小学校の校長を努めた方で、牧野博士が亡くなる前にお見舞いに行った写真を見せて頂きました。
まさか牧野博士が朝ドラに出るような人になるとは・・・とのことです。
牧野博士関連書籍
戸棚の扉に描いてもらった書。
「農業とは命と繋がることで、その農業に従事している人を讃える」詩だそうです。
牧野博士は字がとても上手ですね。
多くの人が集える場・交流できる場・『繋がる広間』(コミュニティスペース)です。
ドラマは始まるし、注目が集まりそうですね。
>有泉さん、ありがとうございました・・・
P.S
YBSさん、山梨日日新聞さん、牧野博士は疎開中に山梨日日新聞を購読していたそうです。
「疎開日記」に書いてありますよ!!!
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