お袋が他界して一年、ついに遺骨とお別れの時が来た。

 

生まれ故郷である青森の海へ散骨を希望していた、お袋の願いをやっと叶える事が出来た。

 

直ぐには出来ず、一年近くかかったのは親父の存在。

 

このブログでも何度か書いたが、親父は毒親だ。

 

子供の頃、昭和の時代にありがちな理不尽な暴力、酒、遊びの連続。

 

そして全財産を使い果たした老後は、自分へはもちろん、嫁さんにまで金を無心し、更に酔った勢いで「お前たち家族の時間と金の使い道は、親を第一で考えろ!」とまで言う始末。

 

闘病中のお袋へは、亡くなる直前まで「おい飯!」と言い、お袋の体より、その後一人残される自分の心配ばかり口にしていた。

 

そんな親父がお袋の火葬後、「今から遺骨を持って墓へ行く」と、急に騒ぎ出したことがあった。

 

その場は説得をして落ち着かせるも、その後毎日の様に「墓へ入れたい」と言い続ける親父。

 

当然だけど、拒否している墓へお袋を入れる訳にはいかず、仮にお袋の「嫌だ」という気持ちを伝えたところで、親父は絶対に「そんな訳ない」と言うのが目に見えている。

 

そして考えた挙句、「一人では淋しいだろうから、お袋の遺骨は僕が預かり、親父が亡くなった時に一緒に入れるよ」と言って納得をしたもらった。

 

そして親父は今年の一月、泥酔して頭を打ち、現在は介護4に認定されて老健にいる。

 

倒れてからは急激に認知症が進み、今ではお袋の死を忘れ、面会の度に「あいつは?」と言い続け、最近では息子である自分へも「あんたは誰だ」と言う程に認知症が悪化。

 

つまり、もう親父を説得する必要も無いことから、お袋の希望とおり海洋散骨へ踏み切ることにした。

 

ただ、いざ散骨となると、とても複雑な思いが込み上げる。

 

当初は船に乗って一緒に供養をするために、この夏に家族で青森へ行く予定だった。

 

ただ、それをするには高額なチャーターしか方法が無く、ならば港で船を見送りながら手を合わせるだけでもと考えたが、船は遺骨が複数集まってから出港をするらしく、それも殆どが当日に決まるとのこと。

 

つまり青森在住者ならまだしも、遠方の人は来ることすら困難なので、方法としては遺骨を配送し、その後は海葬業者さんに全てを委託するしか方法が無かったのよ。

 

委託散骨は、配送後に遺骨をパウダーにして保管後、出港が決まったら国指定の海域にて散骨を行ない、後に散骨証明書と証明写真が送られるとのこと。

 

荷物同様の配送方法や現地立会いできないことに、どうしても気持ち的にはスッキリしないが、性格的にお袋は間違いなく「チャーターする必要はない」というタイプ。

 

嫁さん家族も相談に乗ってくれ、悩んだ挙句、気持ちの整理を付けて青森へ配送することにした。

 

配送前日、「みんなでお見送りしたい」と、義母や義妹の家族が家に集まってくれた。

 

お袋の遺骨を囲み、子供を含めた総勢12人での送る会。

 

最後は「笑って送り出そう」と賑やかに食事をし、翌朝、お袋の遺骨は配送業者の手に渡った。

 

それから約3週間後、散骨業者から「今日散骨を行なう」との連絡が来て、散骨時間の14時、自分はもちろん、義家族を含めた皆が各々の家や職場から、青森の方角を向いて黙とうをささげてくれた。

 

そして今我が家に残されたのは、手元供養するために用意した、小さな卵型の骨壺のみ。

 

 

本当にこれでいいのだろうか?と思いつつも、それがお袋の強い希望。

 

少しではあるが、遺骨が我が家に残ってくれただけでもヨシとしよう。