友人は更新するもの | ぼっちの独り言

ぼっちの独り言

大阪に住んでる21歳男子大学生。
ぼっち!

今日はいきなり結論から行くぞ!!


思うに友人と言うのはパソコンのOSと同じく、どんどん更新していくものである。


どうでもいいうっすい関係の人とは次第に離れ、連絡先も消えてしまう。そしてまた新しい人と出会い、仲良くなる。【友人】とはこの繰り返しなのだ。


しかしその中でも大事な人や特段仲のいい人とか何やかんやずっといるなぁみたいな人が出てくる。大切な部分だけはちゃんと残して、他の枝葉の部分をアップデートする。こういえば伝わるだろうか。伝わらない方は頭の更新をした方がよろしい。(いや僕の文章力の方か)



今日はそんな友人についての話。



僕は小学生の時から約10年間Twitterをやってきたが、その中で色々な人と話し出会ってきた。その数大体30くらいだろうか。しかし今現在でも連絡を取っている人は5人もいない。


理由はわからないが多分インターネットという性質もあると思う。どんなに仲が良くても、例え命を救ってくれた恩人だとしてもブロックすれば終わりなのだから。


あと相手もまた僕と同じく


【友人の更新】をしたのだろう。僕より面白い人、話しやすい人、かっこいい人など腐るほどいるのでその人たちと出会ったらそっちを取るのは当たり前なのだ。


何も僕が更新するだけではない。自分が更新される、つまり切り捨てられる側でもあることを僕はよーくわかっている。


仲のいい女の子に何度ブロックされたことか。いえね、幾ら慣れているとは言え、最初の方はしんどかったんですよ。いくら数回しか会ったことないとは言え、何の連絡も無しに僕の前から去ってしまうのはとても悲しく、憤りを感じましたよそりゃ。


しかし今は全く違う。さっきも述べたがこれは仕方がないことなのだ。


もう一度言うが友人は更新するものである。しかしそれと同時に自分も更新される側に常に立たされている、と言うことも自覚しないといけない。


なので一々気にしても仕方がないのですよ。あの人に距離を取られた、とか連絡が遅くなった、とか関係を切られたとかね。そんなの当たり前なんですから。


というかね、たかが数人に関係を切られたから何だと言うんですか?この世界には何億人いると思ってるんですか?そしてその何億人にアクセスしようと思えばすぐにできる時代ですよ。関係を切られたら、また新しいそしてより良い人を見つけてそこにくっつけましょう。その人もどっか行ったら、また見つけましょう。


友人とはそんなもんです。友人とは試行錯誤の上に見つけるんです。考えてごらんなさい。最初のパソコンの話じゃないですけど、スティーブ・ジョブズはiPhoneを作る上で沢山失敗してきたはずです。突然アイデアが降ってきたわけじゃないはずです。試行錯誤の上、iPhoneという大発明を世に放ちました。


友人も同じです。試行錯誤を重ね【この人だ!】という人を見つけるのです。そのために犠牲(切られる)はつきものです。これを頭の片隅に入れておくと、幾分か楽になるとクソガキながら僕は思うのです。




今日の一言



「往く者は追わず来る者は拒まず。」


孟子(中国の思想家)




終わり。