捻くれ者のモノの見方 | ぼっちの独り言

ぼっちの独り言

大阪に住んでる21歳男子大学生。
ぼっち!

昔と比べてだいぶ丸くなったと思ったのだが、久しぶりに古くからの友人と会ったら


「お前は相変わらず尖ってんな笑笑」


と言われた。たしかに中学生の時など先端恐怖症の人が泡吹いて倒れるくらいに尖っていた。全ての事に反発しみんなが白と言えば真っ黒だ!!と喚き散らし、みんなが黒と言えば真っ白だ!!と喚き散らした。


もはやただの痛い奴である。20歳を過ぎ、まだまだ幼いクソガキである事には変わらないが、それでもだいぶ落ち着いたと思う。しかしタイトルにもあるように【モノの見方】と言うのは人間中々変わらないのだ。今日はそんな話。


僕はよく大体の人が何も思わないことやスルーしている事に対して、立ち止まり考えることがよくある。要するに【小さなことに引っ掛かる性格】なのである。


え、そんなこと気にするん?笑

そんなのほっとけばええやん。

考えすぎやって。


あげるとキリがないのだが、例えばこんなこと。


掃除してあげようか?

買い物行ってあげようか?


などよくある、〇〇してあげようか?という言葉。


これを言われるとものすごくイラつくのだ。そんな上から目線ならやってくれんでええわ!!引っ込んどけ!人を舐めるな😡


とブチギレ寸前までいってしまう。めんどくさ、、と思ったろう。僕も思う。だがこれは本当のことなのだ。

イラつくのだから仕方ない。


あなたたちが家族の、恋人の、友人の悪口を言われたら怒るのと同じように僕は〇〇してあげようか?と言われたら怒るのだ。ただそれだけ。


このようにどうでもいい事に引っかかり、それはおかしい!!!と考え込んでしまう性格なのだ。疲れない??とよく言われるが、そういう脳の構造をしているから仕方ない。


僕からしたらあれ、おかしいな?と思った事に目を瞑りスルーする事の方が疲れるのである。


小中学生の頃に比べれば幾分かマシにはなったが、本質は変わっていない。恐らく30歳になっても50歳になっても根っこはもう変わらないと思う。いつまでも尖ってるのは無理だ。


しかしせめて20代のうちぐらいはビンビンに尖って生きたいものだ。



今日の一言。


「一般に青年が主張する内容は正しくない。しかし、青年がそれを主張するそのこと自体は正しい。」


ゲオルク・ジンメル(ドイツの哲学者、社会学者)



終わり。