「他人のため」という幻想 | ぼっちの独り言

ぼっちの独り言

大阪に住んでる21歳男子大学生。
ぼっち!

※一人称はワザと統一していないよ。


「あなたのためを思って言ってるのよ!」

「他人のために頑張れる人になりなさい。」

「お前のためだ!やりなさい!!」


このような言葉は必ず一度は言われたことがあるだろう。僕も腐るほどある。そして聞くたびに反吐が出そうになる。先にタイトルを回収するがこの世に【他人のため】なんて存在しない。他人のためは全て自分のためだ。


「友人が目の前で自殺しようとしていたので、全力で止めた。」


一見これはこの友人のためを思ってした行動のように見える。しかしこれこそエゴによる行動なのだ。友人のためを思ったのではなく、もし目の前で友人が死んだら【自分が悲しくなるから】止めたのだ。


だって目の前で友人が死んだら嫌じゃん。泣くじゃん。トラウマになるじゃん。だから自分を守るために、自分を傷つけないために自殺しようとする友人を止めた、これが答えだと僕は思う。むしろそれ以外の理由が思い浮かばない。


例を挙げるとキリがないので2つだけ紹介しよう。


・親が言う「あなたには幸せになって欲しいから言ってるのよ。」→自分が幸せになりたいだけ。ただの自己満。自分が思い描く理想や幸福を子供にも押し付け、自分が気持ちよくなりたいだけ。また子供が不幸になると自分が苦しいから。自己防衛。


・「あなたのために頑張るね」→エゴ中のエゴ。自分が満足するから頑張る。自分のため。


タチが悪いのがこのような人たちは自分のため、という認識がないので本気で【あなたのためにやってあげている】と思い込んでいるところ。余計なお節介になることもあるんだぞアホタレが。


全ては自分のため。全ては自分の幸せのため。全ては自分を守るため。全ては自分の満足のため。


【全ては自分のためである】と言うことを認めることこそ【他人のためになる】のだ。皮肉なものだが。


俺は自分のために生きる。

目の前で困っている人がいたら俺が胸糞悪くなるから助ける。俺のために。

俺が好きだからその人に尽くす。俺のために。

俺が気持ちよくなりたいから後輩には飯を奢る。俺のために。


そしてだるくなってきたからここで終わる。




俺のために。。



終わり。