ワームホールのパイプの中を、すべるように意識は流れて行く。
いつのまにか聖少女ロミは、自己の記憶を追想しはじめていた。
――私は夢を見ているのかしら。
十二才の夏、青空の下で降り注ぐ陽光を浴びて、トニーが持て来てくれた甘いクリームソーダを飲んでいる。小さなビキニの水着を着けただけの私の身体は、真っ黒に日焼けして全身に水滴のような汗を浮かべている。トニーはコーラを飲みながら、楽しそうに笑っている。
私は砂浜をかけ出し、白い砂浜の汀から海に向かって思い切り飛びこんだ。
夢中になって潜り、泳ぎ、泳ぎ疲れると海面に仰向けになって浮かび、私の全身を太陽に晒して大きく息を吸い込む、この惑星にとらわれた生命の源、母なる海に遊ぶイルカやクジラたちと私は戯れる。
・・・そうだわ、あの老クジラは、やっぱりあの時のクジラだったのかもしれないわ。
十七才の誕生日の朝、私を引き裂いたあの時、白いスポーツカーが私に向かって飛び込んできた。私を空中に放り上げ、そのままこの世の果てへと突き飛ばしたスポーツカーの助手席にトニーがいた。
トニー・マックス、この四十年間いつも不機嫌な顔をして、私の眼を真っすぐに見ようとしない、時々私も意地悪をするけれど、必ず私を守ってくれる頼れる男、聖戦魔術師トニー・マックス、どんな時も、私が困った時には必ずトニーが現れる。
――私のトニー。
通学路に私を見つけ、制動が効かなくなったスポーツカーの助手席から前に飛び出し、力いっぱい飛びあがり、クルマと私のあいだに飛び込んだトニー。
ミドリの言うとおりだわ――「女の子なら誰だって、あの、はにかみ屋で心優しい美少年、トニー・マックスを見たら恋をしてしまうわ、ちょっとおバカなところもあるけれど」
――おバカなトニー、あなたに責任は無いのよ、私はあなたが庇ってくれたおかげで、命を取りとめ、手足の骨折とほんのちょっと脳を壊しただけ、今はこんなに元気よ。
――トニー、愛しているのよ、もう隠れていないで出てきて。
ロミの選んだワームはブラックホールを飛びだし、超光速で銀河を跳び、宇宙を跳ね、時間の無い空間をジャンプし、ロミの銀河系に戻ると次第にスピードをゆるめ、やがて太陽系に入ると可視速度に落ち、序々に周囲の景色が見え始めた。
木星を過ぎる頃には、はっきりとした映像となり、フォボスとダイモスが衛る火星を通過した。
――よかった、間違いのないワームを選び、私は地球への道を返ってきた。
太陽系第三惑星にワームは向かっている。
――アンドロメダ、あなたのことは決して忘れない、ほんとうにありがとう感謝しています。
ワームの描く渦巻きはそのまま日本列島を目指し、四の国の上空に入った。
しかし、ロミの思い描く空路から少しずつ東にずれていき、ワームは四の国の東端を目指し、淡路島との境界に位置する、狭い鳴門海峡に飛び込んだ。
九月四日午前十一時、中潮とはいえ太平洋は強い引き潮でみるみるうちに浅くなり、狭い峡にせき止められた瀬戸内海とは二メートル近い潮位の段差ができて、今、海峡には時速十五キロを超える潮流が太平洋に下り、無数の渦潮を発生させていた。
ワームはそのうちの一番大きな渦潮に飛び込んだ。
急流に引きずられて渦はグルグルと巻いて海底へと突き刺さり、海底の複雑な凹凸に渦の流れは翻弄されて、やがて湧昇流となって盛り上がり、ふたたび海面に戻る。
渦潮の直径は最大のものでも二十メートルぐらいだが、潮流に引きずられ、出来ては消える無数に発生するその渦を吸収する湧昇流は、二百メートルを超えることもある。
宇宙から戻り実体となったロミは、巨大な湧昇流に押し上げられ、海峡の南に浮かぶ小さな島、飛島の海岸に上がった。
――ロミ、その島にはいないわ、昨日の引き潮のときにトニーは戻ったはずだから、引き潮に流されて南の方に行っていると思うわ、南の海を見るのよ、遠くまで見渡して。
ミドリの声を聞いて、ロミは遠くの海を見渡した。
そして遥か南の沖合に、黒いものがポツンと浮かんでいるのが見えた。
――あれかしら。
ロミは意識の翼を広げ、南に向かって移動した。
近づくと黒く見えたものはクジラだった。
あの砂漠の海にいた巨大な老クジラだった。
そして子供のときに遊んだカリフォルニアの、あのクジラだった、うれしくて涙が出てきた。
ロミの意識が傍まで行くと、老クジラは頭から大きく潮を吹いた。
トニーは老クジラの背中で意識を失っていた。
あれから一カ月、老クジラは一万キロの旅をしてきたのか、ロミは無の意識から実体となってその姿を現し、老クジラの背に下り立ち背中をやさしく撫でねぎらい、エンパシーで癒した。
――ありがとう、無理をさせたわね、
――きっとあなたの家族もこの近くにいるはずよ。
老クジラは再び頭から潮を吹きだし、ロミの柔らかな裸身を濡らした。
そして横になって気を失っているトニーは、ロミの愛する翳りあるニヒルな中年男、トニー・マックスだった。
ロミは膝をつき、トニーの顔に近づき、そっとその口にキスをした。
初めて会った10才の時からの四十七年間をすべて思い出し、それは二度目のキスだった。
――私たちはなんと長い時間を二人でいっしょに過ごし、経験してきたのかしら。
ロミの瞳から一粒の宝石がこぼれ落ち、トニーの口元に届いた。
トニーはゆっくりと目を開けた。
目の前にロミのかたちよい耳が見えた。
トニーは身を起こし、膝立ちしているロミと同じ高さで目を合わせた。
ロミの瞳は黄金色に輝いたままで、トニーの青い瞳を見ていた。
「ロミ、また裸で泳いだのですか」
ロミはとつぜん恥ずかしさを覚え、両手で胸を隠した。
トニーは来ていたTシャツを脱ぐと、ロミの頭からそれをかぶせた。
ロミは急いでTシャツに腕を通し、裾を引きおろした。
ロミは「ちょっと匂うわね」と言って、笑顔でトニーのたくましい身体に抱きついた。
老クジラのゴツゴツした背中の上で、トニーは思いきりロミを抱きしめた。
「ロミ、わたしはまだ混乱しています」
「私もよ、すべて思いだしたのトニー・マックス」
ロミはトニーの上になり、彼の頭を両手でつかみ何度もキスをした、経験の無いロミは、おでこをぶつけたり、鼻を塞いだりしながらトニーのたくましい身体を抱きしめ、その広い胸に顔を埋め涙を流した。
そして二人は泣きながら笑顔になり、顔を向け合い両手をつないで立ち上がった。
「トニーわたしの目を見て」ロミはトニーに思念を送り始めた。
――今からテレパシーで伝えることはニューヨークの研究所へ送ってね、私の父ドクターエジマと一緒にジェーンも見ているはずだから。
ロミはトニーが不在になった山荘のリビングから思念を始めた。
ロミアンドロメダーズの七人が山荘のリビングに入り、三つ子の天使たちと会い、ロミは彼らを連れて三嶺に登り、宏一からトニーの二人の弟たちが、マックス教授に変身した七人の超能力者によって、障害の治療をしてもらったたことを聞き、その後夕食の時にロバーツが話した驚きの内容、そして今朝、ロミとエスタが洞窟ドームに入り、宇宙を描いた回廊を周り、そこに見つけたマックス教授とマルグリット伯母の姿を、すべて思念で送った。
トニーは送られてきた思念を、正確に映像としてニューヨークの研究所に送信した。
そしてロミとトニーはあらためて、お互いの身体をいたわりながら抱きしめた。
「さあ、みんなが待っているわ」
ロミはトニーを見上げて言った。
トニーは黙ったまま、ロミの黄金色に輝く瞳を見つめていた。
ロミはTシャツを脱いでトニーに着せた。
「実体を消したら持って行けなくなるのよ」
トニーはロミの裸身を眩しそうに見た。
「ロミ、あなたは少し大人になったように見える」
「気のせいよ」
こんどは胸を隠すこともなくロミは言った。
ロミはもう一度、老クジラの背中に膝を落とし、両手をついて老クジラの巨体を見つめた。
――ありがとうクジラさん、このまま黒潮に乗って行けば、あなたも家族に出会えるはずよ、ほんとうにありがとう、お幸せにね。
ロミはそっと老クジラの頭にキスをして、癒しのエンパシーを送った。
老クジラに別れを告げると、三嶺のすり鉢池に思念を送った。
――ミドリ準備はいいかしら。
――大丈夫よ、ガーティーに集まった精霊たちのパワーが、トニーを完全に包んでいるわ。
ロミはトニーの正面に立ちあがり、目を閉じ、心眼を開いた。
トニーも目を閉じて印を結んだ。
トニーの身体を精霊たちのパワーが結界のように護っている。
精霊たちのパワーを送りこみ、それを護る妖精の女王ガートルードのエンパシーを、ロミは思念の翼を大きく広げて抱き包んだ。
そしてトニーを護る結界から、ガーティーたちのいるすり鉢池へのエンパシールートを描き、イズモの女王ミドリの思念に引き渡した。
トニーの姿は老クジラの背中から幻のように消え、三嶺山頂のすり鉢池へと移動した。
見届けたロミは実体を消し、
ガーティーのエンパシーに飛び込み、
洞窟ドームで待っていてくれる、
アフリカの女王エスタの手を握った。
次項につづく
写真と動画はお借りしています
イラストは50年前のSFマガジンに載った
ロバートFヤングの小説
「いかなる海の洞に」のイラストを
ボールペンで模写したものです