四人の巫女が肩に載せている神輿(みこし)の上には、ビロー椰子の葉が敷き詰められ、その上にはインカ模様に彩色された座布団のようなクッションが置かれ、中央部がへこんだそのクッションの上に、ユパンキのミイラ化した頭部があった。
蝋人形のようにのっぺりと艶やかな顔は、やや上方を向き、口は左右に真一文字に広げられ、僅かに開いた唇の間から、喰いしばっているような白い歯が見える。
目は大きく見開いたまま、まだ生きているかのように憎悪と恐怖に包まれた、鋭い視線で前方を睨みつけている。
ロミは思わず両手を合わせ、ユパンキのミイラにエンパシーを送り、インカの神に祈った。
――酷(ひど)いわ、ユパンキさんがこんな怖い顔をしているなんて。
ロミの中では、ユパンキはいつも飄々として、物事を優しく見守る人、どんな時も、人に向かって憎しみとか、悲しみを見せる人ではないと、でも、500年の昔インカの征服者との戦いでは、
ユパンキさんにとって、これほどの憎しみと恐怖の瞬間だったのね、そうロミの心は感じた。
ロミの驚きとは裏腹に、ワイナピチュの山の頂から下りてきた七人の巫女、その先頭にいた長身の巫女は、当たり前のことように静かに手を招き、微笑みながら優雅な身のこなしでロミに向かって同行を促すような仕草を見せた。
片手に燭台を持ちながら、ミイラを載せた神輿を担ぐ巫女たちを従えて、暗闇の月の神殿の奥へと歩を進めて行った。
ロミは長身の巫女の後ろに従い、マリアとファンションは神輿を担ぐ巫女たちの後ろに付いていった。
月の神殿の大きな門を潜り暗闇の中に足を踏み入れると、長身の巫女は燭台に火を灯し、さらに洞窟の奥へと進み、外部の光が届かなくなると、巫女はフードを後ろへ下げて燭台の明かりにその顔を表した。
その面差しはヨーロッパの血が流れるメスティーソ(混血)の顔だった。おそらく征服者とインカの女との間に生まれたものであろうか、彼女はインカの巫女たちよりかなり長身で堀の深い、神秘的な美貌の面差しだった。
巫女は微かに微笑み、ふっくらとした唇を開き、ロミの手を取り、その指先を口元に当てそっと息を吹きかけた。
ロミは何が起こったのか分からず、頭の中でめまいのような感覚を覚え、それは何かの呪いのしるしなのかと疑った。
だが、身体の感覚が薄れて行くような霞に包まれてしまうと、ふんわりとした曖昧な気配の中で、このままインカの巫女の黒い瞳の魔法に誘われ、神話の中で後戻りできなくなった恋人たちのように、二度と戻れぬ暗黒の深い奈落の底へ落ちて行ってしまうような気がした。
巫女の神秘的な表情に囚われまいと、ロミは後ろを振り返った。
ロミの後ろには深い闇に閉ざされて、従者の巫女たちもマリアとファンションの姿も見えず、ただ空中に浮かぶユパンキの恐怖と憎悪のかたち、首から上のミイラだけがいた。
――ユマ教えて、このままこの人の後に着いていってもいいのかしら。
ロミの思念の中に灯る、ユマの応えは青いランプだった。
巫女はロミの手を握ったまま、洞窟の奥へと誘(いざな)う。
やがて行き止まりに三つの祠(ほこら)が現れた。
巫女は床に突き出した方形の岩の上に燭台を置き、左手はロミの手を握ったままで、右手で三つの祠をそれぞれ指さした。
ユマの灯は青いままにあり、ロミは巫女に向かって無言のまま、ゆっくりと頷いた。
巫女は微笑み、ロミのあごをそっとつまみ、その柔らかな唇に自分の口を重ねた。
ロミにかけられた呪縛は解かれ、横にマリアとファンションの姿が戻っていた。
巫女はユパンキの首を両手で持ち上げ、ロミと妖精たちの顔を見た。
ロミと妖精たちは言葉も無く、巫女の姿と行いをただ見守るばかりだった。
従者の巫女がクッションを左の祠に置き、長身の巫女はその上にユパンキの首を置いた。
そして彼女の髪の上に載っているティアラを自ら外し、中央の祠にいつのまにか置かれていた黄金の台座の上に飾った。
メスティーソ(混血)美貌の巫女は手を広げ、小さなインカの巫女たち一人ひとりに抱擁をした。
従者の巫女たちは跪(ひざまづ)き、両手を床につけ、頭(こうべ)を垂れてひれ伏した。
巫女はロミたちに向かって、まるで女神のような神々しいその姿で微笑み、両手を合わせて頭を垂れた。ロミと妖精たちも両手を合わせ、眼を閉じてエンパシーを送りながら祈りを捧げた。
そしてロミが再び目を開けると、目の前にいたはずの美貌の巫女の姿が見えなくなっていた。
燭台の炎は小さくなりはじめているなか、三つの祠を確かめると、左の祠にユパンキの首のミイラがロミを見つめ、右の祠に美貌の巫女が、いつの間にか同じくミイラとなって眠り、中央の祠には、黄金の台座の上に卵型の繭のようなものが有り、その上に宝石をちりばめたティアラが載せられていた。
ロミは今一度、巫女の姿を確かめようと、右の祠に近寄ろうとしたが、ユマの灯りが赤い警告の点滅をはじめ、前へ進むことが出来なかった。
――ユマ、いったいこれはどういうことなの?
だが、ユマから応えを得ることも無く、洞窟を照らしていた燭台の炎も消え、ロミは暗黒の闇に閉ざされてしまった。
閉ざされた闇の中で、マリアとファンションがロミの左右の手を握った。
――いいのよマリア、今はドラゴンボウルの力を借りなくてもいいの。
――ロミ、あの方は神の使者だったのかしら。
――さあ、でもミイラの姿になっていても、あの方は微笑みを見せてくれていたわ。
――ねえロミ、あの巫女さんて、少しマリアに似ていなかった?
――そうねファンション、あの方の髪が金髪だったら、よく似ていたかもしれない。
ロミの頭の中にあったユマの警告ランプが消えた。
闇の空間に少しずつ明かりが差し始め、目が慣れるとともに、やがて洞窟は明るくなった。
そこはもう、500年前の月の神殿では無かった。
巨大な岩に押しつぶされそうな、2091年のワイナ・ピチュの断崖、月の神殿の朝だった。
そこにはもう、ユパンキのミイラも巫女のミイラも、ティアラを載せた女神の繭も無かった。
「ロミ、ニューヨークへ戻りましょう」
いつの間にか傍らに来ていたフィニアンの言葉に促されて、ロミたちはあらためて神殿に向かって祈りを捧げると、フェアリーシップの階段を昇り始めた。
すると遺跡を吹く風の中に、羽ばたく音が聞こえ、ロミは足を止めた。見ると、神殿の前の広場の隅の岩の上に、朝の陽光に包まれている、大きなコンドルが翼を休めていた。
彼は何事か思考するように、首をロミに向け、じっとロミの眼を見ていた。
その姿を見ているうちに、何故かロミは目を潤ませて、彼の眼を優しく見返した。
彼は小さく地鳴き声を発して応えた。
ロミは微笑み、彼に向かって愛と癒しのエンパシーを送った。
――ユパンキさん、待っていてね、また冬至の朝には、あなたに会いに来るわ。
コンドルは翼を開いて大きく羽ばたくと、ロミと妖精たちの目の前を横切り、ウルバンバ渓谷の上昇気流にのり、彼が守るべきインカの、高く青い空に向かって飛び上った。
次項Ⅳ-51に続く

