世田谷美術館で「美術家たちの沿線物語」を観た! | とんとん・にっき

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「美術家たちの沿線物語」
田園都市線・世田谷線篇

 

「世田谷美術館」外観 設計:内井昭蔵

 

世田谷美術館で、「ミュージアムコレクションⅢ 美術家たちの沿線物語」を観てきました。副題に「田園都市線・世田谷線篇」とあります。

 

「玉川電車沿線名所図絵」

 

「桜新町・サザエさんの像」

 

長谷川町子著「サザエさん」

 

平福百穂
「誉謝女王」制作年不詳

 

麻生三郎「三軒茶屋」1963年

 

緑川廣太郎「祈る人」1966年

 

「向井潤吉「新雪」
[東京都世田谷区弦巻蛇崩川付近]
1940年頃

 

向井潤吉「春叢」
[埼玉県東松山市神戸]1988年

 

向井潤吉
「老人の顔(デューラーの模写)」
1929年

 

向井潤吉「司厨長」1928年
 

写真パネル「電通八星苑(旧林愛作邸)」

 

写真パネル「電通八星苑(旧林愛作邸)」

 

沿線居住作家一覧

 

「ミュージアムコレクションⅢ 美術家たちの沿線物語」

「田園都市線・世田谷線篇」

1907年に世田谷で最初に開通し、”玉電”の愛称で親しまれた玉川電気鉄道。現在は渋谷から二子多摩川に向かう東急田園都市線と、三軒茶屋から分岐し下高井戸へと至る東急世田谷線に、その名残をとどめています。

玉電沿線では、1913年、都内初の高級分譲地である桜新町が開発されたのをはじめ、1923年の関東大震災以降、次第に宅地化が進み、多くの美術家たちもまた、広い土地にアトリエをもとめて移り住みました。本展では、この沿線にゆかりの美術家たちを取り上げ、数々のエピソードとともに作品をご紹介します。

1919年、三宿駅近くに画室「白田舎」を建てた日本画家・平福百穂と、歌人・斎藤茂吉との交流。関東大震災の後、駒澤大学の校舎および図書館の再建に携わった建築家・菅原栄蔵と、菅原が構想した駒沢芸術家村のアトリエに住んだ洋画家・向井潤吉。桜新町に千坪の農園を営んだ木工作家・林二郎と、その近隣に住んだ洋画家・緑川廣太郎や小説家・志賀直哉ら文化人の交流の輪。1930年代に写真家・桑原甲子雄がとらえた世田谷ボロ市の風景など―。美術家たちの創作と交流の足跡、沿線で織りなされた、さまざまな物語をお楽しみください。

 

「世田谷美術館」ホームページ

世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

 

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