井上章一の「京都まみれ」を読んだ! | とんとん・にっき

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井上章一の「京都まみれ」(朝日新書:2020年4月30日第1刷発行)を読みました。

 

東京都京都はどちらが格上か。

どちらがありがたみがあるか。

首都の圧勝だろうと書き出したものの・・・。

全国各地に残ろ不可解の地名から、お詫びのとらやの羊羹まで、

数々の物的証拠が、京都も互角にはりあっている(?)事実をつげる。

祇園、壮大な木造建築の寺社、町家、千年の老舗、味、祭り。

・・・そらそうや。日本のイメージは「京都」でもっているようなものや。

ここは、ほこらしげな京都人たちに、もう一太刀、あびせておかねば。

 

なにかと対立した京都と東京、「京都まみれ」はこうして終わります。

東京は京都から、首都という重荷をおろしてくれた。京都にかわって、しんどい仕事をひきうけている。おかげで、京都は多くの老舗を温存することができている。町衆の伝統も、なんとか保ってきた。東京が、近代日本の首都役をつとめてくれたおかげである。その点では、もっと東京に感謝をしてもいいぐらいだと思うが、どうだろう。

 

で、また、応仁の乱、ですよ。これ、今まで何度も出てきました。

「このあいだの戦争」という言い回しがある。日本では、第二次世界大戦をさすさいに、よくつかう。だが、京都の人たちは、この文句に応仁の乱を想起すると、しばしば語られてきた。20世紀の世界大戦ではなく、15世紀の内乱へと想いをはせるのが京都人である、と。15世紀を、つい「このあいだ」ととらえてしまう。この物言いは、京都人の悠長ぶりを、おもしろおかしくはやす常套句となっている。彼らは、それだけ気長に生きているのだ、と。

 

「応仁の乱」といえば、超ベストセラー、呉座勇一が2016年に書いたもの。呉座は井上と同じ勤め先、国際日本文化研究センターの研究者。「乱の複雑きわまりないようすを、丁寧に解きほぐしている」好著であると、ほめています。

 

衝撃の告白、ですよ。

2015年に刊行した「京都ぎらい」では、私は宇治に住んでいる。そだったのは右京区の嵯峨、生まれたのは、やはり右京区の花園。したがって、典型的な「洛外者」で、そのため、洛中の京都人からはあなどられてきた。ところが、である。自分は右京区の花園で生まれたと思い込んでいたが、2017年、個人的な事情で自分の出生届をとりよせてみたら、なんと、京都市の中京区に生まれたことになっていた。いったい、どういうことなのだと、置いた母に問いつめた。なのことはない、取り上げてくれた病院が、中京区にあったということ。この出生の秘密(?)を知ったからとて、京都人という自覚はめばえない。基本的には洛外で育っているから…。いやはや。

 

前はあれだけ右京区生まれの洛外者やて、言うてたのに、あれ、嘘やったん。洛外どうしの絆も感じていたのに、中京区て、どういうこと・・・。「京都ぎらい」を読んだ時も、うすうす感じたしな。京都のことをきらいやて、いちおう口では言うたはる。でも、ほんまは好きなんやで。あの「きらい」は、好きの裏返しみたいなもんや。と。

さあ、この告白、どう理解する?

 

井上章一:

1955年、京都府生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手ののち現在、国際日本文化研究センター教授。専門の建築史・意匠論のほか、日本文化についてあるいは美人論、関西文化論など幅広い分野にわたる発言で知られる。

 

著書に「霊柩車の誕生」(朝日文庫)、「つくられた桂離宮神話」(講談社学術文庫)、「美人論」「関西人の正体」「阪神タイガーズの正体」(朝日文庫)、「南蛮幻想」(文藝春秋)、「人形の誘惑」(三省堂)、「パンツが見える」(朝日選書)、「アダルト・ピアノ」(PHP新書)、「日本に古代はあったのか」(角川選書)、「伊勢神宮」(講談社)、「現代の建築家」(ADAエディタートーキュー)、「京都ぎらい」(朝日新書)など多数。

 

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他人のふんどしで相撲を取る

 

今、僕の手元にある井上章一の本の一部(再掲)

他に「霊柩車の誕生」や「つくられた桂離宮神話」、「美人論」、等々、まだまだありますが、どこへいったのか、今は見つけられません。建築関連の著作が多い中、「パンツが見える」がひときわ異彩を放っています。それまで、かたくなに建築史家と名のっていたが、この本で一人前の「風俗史家」になりおおせた、と、能天気に言い切ろうと、井上は宣言します。

 

それにしても「桂離宮」も書けば「伊勢神宮」も書く、「法隆寺」も書けば、「現代の建築家」も書く。そして「パンツが見える」も書く。これほど間口の広い評論家は、ほかに見当たりません。

 

inoue