村田喜代子の「鍋の中」を読んだ! | とんとん・にっき

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村田喜代子の「鍋の中」(文芸春秋:昭和62年8月30日第1刷)を読みました。

 

過去に購入してあった女性作家の本が、引っ越しを機に出てきたので読んでみました。読んだはいいが、なかなか書評を書くまでには至らないし、読後の感想さえも難しいのには参りました。

村田喜代子の「故郷のわが家」を読んだ!

高樹のぶ子の「トモスイ」を読んだ!

 

実はこの二人、ともに芥川賞受賞作家でした。だったらということで、無謀にも二人の芥川賞受賞作を読んでみようと思い立ちました。

 

まず初めに、村田喜代子の「鍋の中」です。なんと「熱愛」は第95回芥川賞候補作、「盟友」は第96回芥川賞候補作、そして表題作「鍋の中」で第97回芥川賞を受賞します。

 

村田喜代子 1987年夏

 

「鍋の中」の収録作品は、以下の通り。

鍋の中

水中の声

熱愛

盟友

 

村田喜代子の第97回芥川賞受賞作「鍋の中」、3人の選考委員の選評を、下に載せてみました。それぞれ、僕の読んだ実感とはだいぶ違うのですが…。

 
吉行淳之介:
「予想を上まわる力を見せた。十分に計算された作品世界を提出し、そこに登場してくる人物も風物も、そして細部もすべていきいきしている。」「おばあさんに悪意があるわけでなく、ぼけているといえないこともないが、むしろ八十歳をしぜんに生きているのである。ここらあたり、不思議なユーモアがある。」
 
古井由吉:
「老人の記憶の内部に起る著しい差異が、逆にたどれば、本人あるいはその生家の、どの辺の事情に由来するものなのか、また作品を通しての少女の口調のどこに、現在の作者の声が節目となって凝縮しているのか、読む側としてはもどかしいところだが、料理役をひきうけた少女が日々、ゴッタ煮めいたものをこしらえた古い大鍋の、その太さに相通じるものを、選者たちは作中から感じ受けて、それぞれ控え目ながらに推した。」
 
水上勉:
「道具だてにも感心した。」「年長の少女を主人公においた手法も納得させる。ひと夏の子供らの旅行が、作者のまったくの空想だとしたら、やはり、力量というしかない。この人には「熱愛」という不思議な好短篇があって、その密度が頭にあるので、「鍋の中」の絞りかげんのやわさがチラついた。だが推す人も多いので、授賞に反対はしなかった。」
 
比較的好意的な芥川賞選評を取り上げてみましたが、本の帯には、吉行淳之介の「選評」も(たぶん全文)載っています。そこには「熱愛」「盟友」と異色作を書いてきた村田喜代子さんは、「鍋の中」で予想を上まわる力を見せた、と書いています。村田の作品世界は、かなり吉行の好みに合っていたようです。
 
がんばって、要約してみます。当たらずと雖も遠からず・・・。

鍋の中」

わたしたち四人の孫がここにやってきたのは、学校が夏休みに入った7月のおわりの週のことだった。わたしと弟の信次郎。いとこのみな子と縦男。わたしたちの祖母は今年80歳である。骨ばかりに痩せているがとても元気だ。ハワイからおばあさんに送られてきた外国郵便。そもそもこの手紙がわたしたちの夏休みをおばあさんの田舎に引き込ませた原因なのだ。おばあさんとわたしが風呂に入る。「ああ、そうしているところはほんとうに、たみちゃんはお母さんにそっくりだねぇ」「実際なんて麦子にそっくりなんだろう・・・」おばあさん、いまなんていったの? とわたしが訊いた。「麦子って誰なの? おばあさん」おばあさんはぐっと言葉を詰まらせた。「その人が、わたしのほんとうのお母さんなの?」「いまのお母さんとはちがうのね」。おばあさあんは、ただもう、うなずいている。

 

「水中の声」

4歳の女の子が、山奥に入った貯水池で溺死した。母親が心当たりの遊び友達の家を探して回ったが、もうどこにも居なかった。女の子の遺体が三日間もあがらなかったのは、水底に密生している藻のためであった。「子供とは、油断ならないものだな」「まるで、死ににきたようなものですな」土手の見物人がしゃべっていた。子供がいなくなってから後、二か月ほどたち、一通の手紙が舞い込んできた。封筒の裏には「全国子供を守る会連盟」とある。公民館に行ってみると、「全国子供を守る会連盟、定例決起大会」と立て看板にある。

 

「熱愛」

1から48まで短文が書かれています。新田と僕は、オートバイでツーリングに出かけます。高速を走り続けて2時間、ようやく目的の海が見え隠れするようになります。高速を出てさらに1時間、日本海の午前の凪をみました。休憩した後、新田は「今日はおれが先を走る」という。五つ、六つ、とカーブを過ぎ、最後のカーブだ。オートバイを銀杏の木の陰に止めて、ぼくは丘の上を眺めわたした。先行していた新田の姿がない。いまきた道をひきかえして走る。

 

「盟友」

僕と一級下の塚原弘道との物語。塚原は歩いている女子の真後ろから足をあげて襞スカートをめくるのか得意で、学年主任につかまります。罰として1階の1年用男子便所の掃除に決まります。僕は喫煙の常習者。煙草は厳重な風紀違反です。僕は煙草をやめようと思い、4人の友達に2箱のセブンスターを分配します。車座になって百円ライターで火をつけたときに、風紀の教師が現れ、たばこは全部没収され、その日のうちに全員、罰として全校の便所の清掃を命じられます。僕と塚原は、壁に「懲罰」と書いて、徹底して陶製の便器を洗浄します。