高村薫の「四人組がいた。」(文春文庫:2018年11月10日第1刷)を読みました。初出誌は「オール讀物」2008年2月号から2014年1月号、単行本は2014年8月文芸春秋刊です。
高村薫の「作家的覚書」を読んだとき、以下のように書きました。
かつては小説家としてデビューし、多くの作品を残していた高村薫ですが、僕の理解では推理小説だったか・・・。略歴を見ながら僕が読んだものを拾ってみると、「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」「晴子情歌」等々、当時出すものはそこそこは読んでいました。「晴子情歌」(上下)は、よく覚えています。青森の名家の人々の生き様を通して、近代日本そのものを描き切った名作です。次に出た「新 リア王」がら読まなくなったようです。次第に高村は、小説から「時評」にシフトしていきます。いや、小説は書いていたでしょうが、僕の前からフェード・アウトして、「時評」が前面に出てきました。
その後、「土の記(上・下)」を読み終わり、さて高村薫の、次は何を読もうかと購入したのが「冷血(上・下)」でした。ついでと言っては何ですが、「四人組がいた。」も同時に購入、なぜか「冷血」よりも「四人組がいた。」のほうを先に読んでしまいました。「冷血」はたぶん、しばらくは読まないんじゃないのかな?
朝日新聞の鷲田清一の「折々のことば」(1360)に、以下のように載っていました。
「では、繁殖もしないし、生きる意味ももたない私らの自由に乾杯!」高村薫
山村に暮らす老人四人組。ある日冴えない中年男が現れ、「世の中に必要とされていない」、意味なくむだに生きているだけと嘆き節。柿の皮剥きに忙しい四人組は、仕事にも繁殖にも意味や<承認>が要るとは何と「肩が凝る」こと、だったら意味なぞ考えずにいる自分たちは自由そのものだと一蹴する。人は「悩まなくてもいいことで悩んでいる」と。小説「四人組がいた。」から。(2019.1.29)
偶然にも僕は、本を読んでいて「虎になる」の、この個所に線を引いてチェックしていました。
「人間が生きるのに意味が要るのなら、地球は意味でいっぱいになっているということかい? どうりで肩が凝るはずだよ」キクエ小母さんが言い、「その前に、生きるのに意味が要るというのは、誰が言ったんだ? アフリカで誕生したとかいう最初のホモサピエンスか? それとも遺伝子か? ただ繁殖するだけでは牛や豚と一緒だから、人間には意味の回路が生まれたわけか? しかし、そんなものは私らにないぞ――」郵便局長が言い、「確かに無い」元助役が言い、「繁殖に意味が要るって? だったら、繁殖能力を失ったジジババは、真に自由ってことかい? そういうことなら、今夜の襦袢は豹柄だよ!」キクエ小母さんが鼻を膨らませ、「自由か。そいつはいい!」男三人も口を揃えると、キクエおばさんの一声がそれに続いた。「そら、焼酎と湯呑み! 自由のお祝いだよ!」。
本の帯には、以下のようにあります。
毒舌満載高村流エンターテインメント
人生は苦しい。ならば思いきり笑いのめせ――
化かし化かされ、宴だ、宴!
高齢化に過疎化、怪しげな農村振興策と進む市町村合併・・・
ここはニッポンの田舎。
自称一番の教養人の元村長、自称村一番の常識人の元助役、
自称元プレーボーイの郵便局長、自称小股の切れ上がった
熟女のキクエ小母さんの老人四人組が、
現代日本が抱える矛盾をブラックな笑いであぶり出す怪作。
「四人組がいた。」 目次
四人組、怪しむ
四人組、夢を見る
四人組、豚に逢う
四人組、村史を語る
四人組、跳ねる
四人組、虎になる
四人組、大いに学習する
四人組、タニシと遊ぶ
四人組、後塵を拝す
四人組、危うし!
四人組、伝説になる
四人組、失せる
高村薫:
1953年、大阪市生まれ。国際基督教大学卒。90年「黄金を抱いて翔べ」で日本推理サスペンス大賞を受賞しデビュー。93年「リヴィエラを撃て」で日本推理作家協会賞、「マークスの山」で直木賞、98年「レディ・ジョーカー」で毎日出版文化賞、2006年「新リア王」で親鸞賞、10年「太陽を曳く馬」で読売文学賞を受賞。16年に刊行した「土の記」では野間文芸賞、大佛次郎賞、毎日芸術賞の三冠に輝く。著書に「地を這う虫」「照柿」「晴子情歌」「冷血」など。
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