梅原猛の「親鸞「四つの謎」を解く」を読んだ! | とんとん・にっき

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梅原猛の「親鸞「四つの謎」を解く」(新潮文庫:平成29年5月1日発行)を読みました。本屋でたまたま平積みしてあるのをみて、親鸞がこっちを見ているようで、すかさず購入しました。この本は2014年10月しぃん庁舎より刊行されたものです。377ページもある分厚い本、久しぶりの学術的な?本なので、読むのに時間がかかりました。が、読むのに苦痛ではなく、次はどうなるのか、どんどん引き込まれていく、そんな読むものを引き付ける魅力を持った本です。


実はむかし1972年に、梅原猛の「隠された十字架―法隆寺論―」を読んだことがあります。読んだ僕が若かったこと、正直言ってウンザリした記憶があり、それ以降、梅原の著作は一切読んでいませんでした。今だったら読めるかも? 「ウィキペディア」から引用すると、以下のようにあります。


法隆寺は仏法鎮護のためだけでなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたと主張する。その大胆な仮説に説得力を持たせるため、様々な古典や史料、論考などを論拠として提示する。常識や通念に捉われない大胆な仮説と、詳細な資料による長大な論証・考察は多くの学者を驚かせ、1972年に第26回毎日出版文化賞を受賞した。


本のカバー裏には、以下のようにあります。

「歎異抄」を旧制中学時代から愛読し、親鸞に関心を持ち続けてきた著者が、それまで答えが見出せなかった根本的な謎に迫る! なぜ出家したのか? 法然門下に入ったのはなぜか? タブーを破り妻帯した理由、悪の自覚に関する疑問・・・大きな四つの謎を解くため、今まで見捨てられていた「異端の書」の中の伝承に着目し、これまでにない聖人理解に結びつけた梅原文学の新境地!


また、新潮社の本の紹介には、以下のようにあります。
タブーを破り妻帯したのはなぜか? 「悪人正機説」の悪の自覚はいつ生まれたのか? 晩年に到った悟り「等正覚」とは?――中学生で手にした『歎異抄』以来、常に著者の心の糧であり続けた親鸞。だが近づけば近づくほどいつも撥ね返されてしまう四つの謎。聖人が亡くなったのと同じ齢九十になり、今こそその真の「教え」に迫る。


著者は親鸞の生涯に深く切り込み、スケールの大きな研究書かつ文学作品に仕上がっている、ミステリー小説のような趣がある、独自の見解と新しい発見もあって興味をかき立てられる書物となっている、と文庫本「解説」の佐藤洋二郎はいう。続けて、梅原猛の書物を読むと知識も増え、自分が少しはましな人間になるのではないかと感じることもある。


独創的で実証主義というところがなによりもいいのだ、と。梅原は親鸞と関係のある場所を訪ね歩いている。それが豊かな発想を生み出し、親鸞がそばにいるような息吹が行間から立ち上がってくる。陽や風の心地よさが伝わってくるし、親鸞がいた風景が見えてくる。それは文章に熱があるからだろうし、彼に行為を持っているからだ、と。


わたしたちはこの忍土で、煩悩の海にもがきながら生きているが、本当に心が解放されることがあるのか。その苦悩や畏怖する感情を、親鸞は数文字で言葉化したのだ。


その行動として「南無阿弥陀仏」と専修念仏を称えろと言うのだ。「南無」は恭順、帰依するという意味だ。不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒の「五戒」を犯しても、あるいは仏法の最大の煩悩である「三毒」の「貧・嗔(じん)・痴」に負けそうになっても、念仏を日々称えれば克服できると信じたのだ。欲望や怒り、嫉妬をわたしたちの心から遠ざけ、平穏に生きる術を、彼は阿弥陀仏の慈悲に求めた。それが先人の心を摑み、今日でも私たちの心を捉えて離さないので。


梅原猛:

1925(大正14)年、宮城県生れ。京大哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長等を歴任。1992(平成4)年、文化功労者。1999年、文化勲章受章。主著に『隠された十字架―法隆寺論―』(毎日出版文化賞)、『水底の歌―柿本人麿論―』(大佛次郎賞)、『京都発見 一~九』『日本の霊性―越後・佐渡を歩く―』『歓喜する円空』等。縄文時代から近代までを視野におさめ、文学・歴史・宗教等を包括して日本文化の深層を解明する幾多の論考は〈梅原日本学〉と呼ばれる。


目次
はじめに――なぜ今、親鸞を書きたいのか
序章 親鸞にまつわる積年の「四つの謎」
一、親鸞の出家の謎について/二、法然門下に入った謎について/三、結婚の謎について/四、親鸞の悪の自覚の謎について
第一章 謎を解き明かす鍵、『親鸞聖人正明伝』
なぜ真の親鸞像は描かれなかったのか――赤松俊秀の功罪/山田文昭の実証主義的文献研究の誤り/存在を否定された『正明伝』の宿命/水と油の性格だった、父・覚如と息子・存覚の確執/覚如没後一周年で書かれた書/平松令三への反論、そして『親鸞始記』という“爆弾”
第二章 『正明伝』の痕跡を求めて――京都・常楽寺、三重・専修寺へ
親鸞の玄孫、存覚の子孫に会いにゆく/直筆の『存覚袖日記』と親鸞の遺骨を納めた宝塔/初めて『正明伝』を見る/今後の大発見も期待される遺品の宝庫
第三章 もう一つの鍵、そして「第一の謎」への挑戦
名探偵・西山深草の大胆不敵な説/親鸞の母親は源義朝の娘であった……/死んだと称して実は生きていた父、そして解けた「第一の謎」
第四章 「名利の衣」を脱ぎ捨てた理由「第二の謎」
優れた物語作家であった覚如と存覚/稀代の怪僧、慈円の五つの顔/善と悪を使い分ける老獪な政治僧/『北野天神縁起絵巻』に秘められた呪詛/学僧として名を成す比叡山時代/余命十年と告げられた「第一の夢告」/卑しい土石でありながら尊い太陽の火をとる「玉日」/師、慈円の窮地を救った歌の使者/「第二の夢告」が導いた法然門下入門
第五章 僧の結婚が意味するもの「第三の謎」
失墜した権力者、九条兼実の帰依/念仏往生を説く“日本のデカルト”法然/浮世に塗れる兼実の問いかけ/法然と式子内親王との秘めたる恋/阿弥陀の教えを証すための結婚/セックスを肯定した「第三の夢告」/釈迦仏教以来の破戒、それは女性救済への道/日本で起きた「第二の仏教革命」
第六章 親鸞の妻、玉日の足跡を求めて
『正明伝』『秘伝鈔』『御因縁』、三書に書かれた結婚譚の相違/『尊卑分脈』に記された「月輪関白女」/東京・杉並の真教寺に残る三体像/終の棲家、五条西洞院に立つ二寺/親鸞流罪後の玉日の様子を伝える西岸寺
第七章 結婚後、『正明伝』に描かれた東国時代
意志の人、覚如と認識の人、存覚/流罪後の一時帰京を描く『正明伝』/「第三の夢告」東国布教が実現した稲田郷/東国における五つの怪異譚/なぜ怨霊鎮魂の話が語られたのか/いざ東国の地へ――結城・称名寺/天童のお告げにより設けられた根本道場――高田専修寺「本寺」/吉原の遊女も尊祟する玉日――稲田草庵/布教の初期形態が残る――大山禅坊阿弥陀寺/帰依した山伏が創建した法専寺/「亡霊済度」を裏づける地――二つの阿弥陀堂
第八章 『教行信証』に描かれた悪の自覚と「二種廻向」
法然も語っていた「悪人正機説」/絶対に許されぬ罪、「五逆」/『涅槃経』に描かれたその後の阿闍世/「六師外道」たちの助言/果して阿闍世は救われたのか/そして解けた「第四の謎」/近代真宗学が口を閉ざした「二種廻向」説/この世に還る「第五の門」/遺伝子に組み込まれた永遠の“生まれ変わり”/齢九十にして至った親鸞悟りの境地――「等正覚」
主要参考文献、取材協力
 親鸞に関する略年譜

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小山聡子の「浄土真宗とは何か 親鸞の教えとその系譜」を読んだ!
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新潮社:昭和48年9月30日発行、2段組みですよ、読めるかな?


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