「アイノ・アールト―アルヴァ・アールトと歩んだ25年―」リーフレットが届いた! | とんとん・にっき

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「アイノ・アールト―アルヴァ・アールトと歩んだ25年―」、展覧会時には制作中だったリーフレットが、郵送されてきました。住所氏名を記入した紙に、料金を添えて申し込んでおいたものです。


今まで、アルヴァ・アールトの影に隠れて、アイノ・アールトの存在はあまり知られていませんでした。アイノ・アールトの業績の着目した展覧会は、母国フィンランドでも行われていないようなので、ギャラリーエークワッドの展覧会はもちろん、僅か26ページほどのこのリーフレットは貴重な資料です。その一部を下に載せておきます。



「パイミオ サナトリウム」1929-1933
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「アールトハウス自邸+事務所」1935-1936
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「マイレア邸」1937-1939
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ガラス器「ボルゲブリック」1932
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家具デザイナーとしてのアイノ・アールト
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「アイノ・アールト アルヴァ・アールトと歩んだ25年」
アイノ・マルシオ(後のアイノ・アールト1894~1949)が、まだ無名の建築家アルヴァ・アールトの事務所を訪ねたのは1924年(当時30歳)のことでした。この時から、彼との長いパートナー関係が始まります。彼女が加わったことで、アルヴァの作品は使いやすく心地よいという「暮らしを大切にする」視線が加わり、空間に柔らかさや優しさが生まれたといわれています。そのことが、彼を世界的建築家の道へと歩ませたといっても過言ではありません。彼の作品が、理屈や理論主義的主張が際立つ近代建築の中で、特異な位置を占めるのはアイノの影響が大きかったことは確かでしょう。

1932年、まだ国際的な名声を得る前のアルヴァ・アールトは、あるデザインコンペで妻のアイノに敗北を喫しています。その時の作品「ボルゲブリック」はミラノ・トリエンナーレでもゴールドメダルを得ています。二人は互いの才能を認め合い、影響しあい、補完しながら本当のパートナーとして作品をつくり続けました。

彼女は「日常生活こそデザインされなければならない」という信念のもとに、家具や照明器具、食器やクロスなど多くのデザインを手掛けています。小さな子供のグラスは滑らないように、しかも美しくデザインしました。従って、実用的で簡潔で、しかも安く大量生産ができ、一般大衆も手に入れることができることを目指しました。この考えは1930年代の精神に合致し多くの賛同者を得、モダニズムデザインの本流となり、現代にまで引き継がれています。アイノがアルヴァらと設立した“Artek(アルテック)”も日常生活を豊かにするための家具や照明器具などを作ることが目的でした。シンプルでオーガニックなデザインは、今日でもなお多くの人々の賛同を得ているといえます。また、アイノは写真家としても作品を残しています。身近な被写体を通してその中に潜む本質を見事に引き出している視座は、彼女の非凡さを垣間見せてくれます。

今回の展覧会で、建築家・デザイナー・フォトグラファーとしてのAino Aalto(アイノ・アールト)の生涯を俯瞰するとともに、アルヴァ・アールトの妻として、母としての素顔にも触れたいと考えています。彼女の生きた時代はまさに戦争の世記でした。祖国でもあるフィンランドは、大国ソ連とヒトラーのナチスに挟まれ、資源にも恵まれず決して豊かな国とはいえませんでしたが、その中で本当の豊かさを追い求めた彼女の生きざまは現代の私たちの暮らしにもヒントを与えてくれるものと思います。


「ギャラリーエークワッド」ホームページ   


aino 書 名=Aino Aalto アイノ・アールト
監 修=アルヴァ・アールト財団、
    アルヴァ・アールト博物館
編 集=ウッラ・キンヌネン
定 価=本体3, 800円+税
発行日=2016年7月20日






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