「歴史遺産・軍艦島 公開シンポジウム」に参加した!  | とんとん・にっき

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来るもの拒まず去る者追わず、
日々、駄文を重ねております。


「歴史遺産・軍艦島 公開シンポジウム」に参加しました。

「シンポジウム」の詳細は以下の通りです。


公開シンポジウム
「歴史遺産<軍艦島>高密度立体都市空間における居住空間~環境創造への人間の知恵と工夫~」

日時: 2016年2月27日(土)13:30~17:00(開場 13:00)

会場: 東京電機大学 東京千住キャンパス 1号館2階 丹羽ホール
住所: 東京都足立区千住旭町5番(北千住駅東口下車徒歩1分
資料費: 1,000円
主催:東京電機大学未来科学部建築学科
お問い合わせ
Tel: 03-5284-5520(東京電機大学未来科学部建築学科事務)


第一部:

歴史遺産<軍艦島>高密度立体都市空間における居住空間~環境創造への人間の知恵と工夫~


阿久井喜孝(東京電機大学名誉教授)

1930年岩手県生まれ。1956年東京大学工学部建築学科卒業後、1963年まで同大学院丹下研究室で設計に参加。設計事務所自営、滞欧(チューリッヒ、ベルリン)を経て、1967年より東京電機大学建築学科で教育研究に従事(設計、都市デザイン、近代建築史)。軍艦島調査のほかに、地中海、オリエント、ヒマラヤ周辺国、中国の民家集落のデザインサーベイを重ね、2001年まで同大学教授。


講演はインタビュー形式で行われた。

インタビュアーは、横手義洋(東京電機大学未来科学部建築学科准教授)。


1. なぜ軍艦島を調査したのか?

2. 1970年代の建築をめぐる状況

3. アノニマス建築への関心

4. デザインサーベイの意義


軍艦島との出会い。

丹下研には7年いた。東京カトデラルマリア大聖堂などを担当した。

地中海のミコノスの写真を見た。2年半、ドイツに滞在した。

堀内先生と10人ぐらいのグループで、地中海の島々を見学した。

縁があって東京電機大学に入り、30数年いた。

教師として何ができるか、自分の経験を話しはじめた。

馬を連れていって水場を伝える。


なぜ軍艦島か?

日本観光協会の嘱託になって、これからの将来像をレポートに書き、

九州や北海道を旅行した。

ほっておいたら、乱開発になるとレポートに書いた。

それが「軍艦島」との出会い。なかを見たいと思っていた。

あるとき新聞をみたら軍艦島が閉山するという記事が。

入れないのは困る。やっと入ったのは「閉山式」の当日だった。

役場の助役の案内で、くまなく見せてもらった。


軍艦島を卒業論文のテーマとして学生に与えた。

教師はたいしたことはできないが、

学生を軍艦島に連れていって、興味を持たせた。

実測などを毎年夏におこない、10年続いた。

100人ぐらいの学生が卒論を書いた。

それぞれの視点の興味が違うので、面白かった。


軍艦島は明治の末期から大正にかけて始まった。

鉄筋コンクリートの技術は歴史が短い。

軍艦島が今の姿になったのは、鉄筋コンクリートの技術があったから。

軍艦島は軍事施設ではないが、国策会社だったので、

鉄筋コンクリートの技術は、戦争中も途切れなく続いた。


もっとも軍艦島らしいのは、傾斜地で、岩盤が露出しているところ。

9階建て、4棟の隙間が中庭として残った。

実測してみると、夏至の日、谷底まで光が届いている。

岩盤の所は住民が植栽など、手を加えた。

水平に歩くとすべての階が自然に岩盤にぶつかる。

やたらとブリッジが多い。


日本最初の屋上庭園。屋上は農園化していた。

立体空間が隅々までつながる。

水はたいへん貴重だった。共同浴場があった。
トイレを流すのは塩水。

初めは浄化槽がなかったので海へ流した。

海に囲まれていながら、魚は食べなかった。


「日給住宅」、給料はよかった。

娯楽が少なく、テレビの普及率は高かった。
少しでも空きスペースがあると、住民は植栽をして緑を増やした。
鉄のサッシは錆びるのでの、建具は木製だった。

公共施設、公共空間。学校関係、小学校校庭など。

端島神社、御輿が練り歩いた。人工地盤の上に昭和元年にできた。

浅草の映画館は木造だが、軍艦島の昭和館は鉄筋コンクリート造。

テレビが発達してからは、集会所として使い。行事。メーデー、お盆など。


電気は海底ケーブル。海底水道は生活をガラリと変えた。貯水槽。

学校は小学校+中学校+幼稚園。高さを感じさせない。裏側が岩盤なので。

「30号棟」は大正5年、最初のコンクリートアパート。

初めてできた家族向けアパート、今は崩れる寸前。

軍艦島の「護岸」は立派です。

RC造+木造の今構造。セルフ・ビルド。バットレス(飛梁)など。

セットバックやキャンチレバー、人工地盤など。

軍艦島は無駄なところはひとつもない。

必要なものは、自分たちで作った。必要から生まれた。


軍艦島も観光ブームで、たくさんの人が押し寄せるようになった。

水着姿にサンダル履きの無神経さ。

ああいう意識をどうやって変えていくか。

首の取れた人形をおいたり、不愉快な思い。

ジャーナリズムのあり方も問題だ。

我々は、いつ帰っても生活できるように、無人の部屋でも靴を脱いで入った。

そのうち、2~3年すると、靴のまま部屋に入るようになってしまった。

建築の学生、水飲み場に連れて行くのが教師の限界。

感じは人それぞれ。


テーマ:軍艦島「端島」の将来像をめぐって(結びに代えて)
1. 世界文化遺産登録を受けて今後の軍艦島のあるべき姿とは?

2. 上陸公開と維持管理、教育的な場としての活用と公開

3. 阿久井先生の設計者としてのキャリアに軍艦島調査はどのような位置づけか?

4. 建築学性に見てもらいたいこと、感じてもらいこと



第二部:パネルディスカッション


パネリスト:

片寄俊秀(まちづくりプランナー)

西村幸夫(東京大学教授)

植田実(編集者)

松葉一清(武蔵野美術大学教授)

コーディネーター:

横手義洋(東京電機大学未来科学部建築学科准教授)


パネルディスカッションは一人15分、リレー形式で行われた。


片寄俊秀:

長崎総合科学大学(旧長崎造船大学)に1970~96年いた。

軍艦島は6割が居住区、4割が鉱場。


端島炭鉱の歴史区分

第一期 原始的採炭期 1810-1889年

      幕末期の石炭の発見から露出炭の小規模な彩炭

第二期 産業革命と納屋制度期 1890-1914年

      三菱による本格的海底採炭

高質炭の供給で製鉄・造船など産業革命に貢献

      納屋という暴力的な前近代的な労務管理

第三期 産業報国期 1914-1945年

      戦争遂行に必要な石炭の大量採掘追及

      技術近代化、三菱の直轄労務管理

      末期・朝鮮や中国からの徴用工や捕虜への強制労働

第四期 復興・近代化期 1945-1964年

      戦後復興も石炭が支えた 

      採炭技術、労使関係の近代化、機械化、合理化

      島内人口は最大。高層住宅の建設

      1952 西山夘三第1回調査

第五期 石炭衰退・閉山期 1964-1974年

  機械化による高い生産性から人口減と繁栄を謳歌

      黒字経営のまま突然の閉山

      1952 西山夘三第2回調査 片寄俊秀調査に入る

第六期 廃墟ブームと世界遺産期 1974年~

      端島は無人に、立入禁止に

      マニアによる廃墟ブーム、観光地化、世界遺産登録

      1974 阿久井喜孝調査に入る 観光ブーム

     

人間が絶海の孤島に無理に造った「栄華の都」が、役割を終えてものの見事に風化して自然に帰っていく。いま眼前で新bン抗しているその壮絶なドラマを、島の歴史と遺産の価値を十分理解した観光客が遠巻きにみつめるという接し方こそが、じつは端島にもっともふさわしいのではなかろうか。




西村幸夫:

軍艦島がどういう価値づけで世界遺産に入ったのか。

世界遺産は、具体的ウナストーリーを持っていなければならない。

日本の近代化。特に海防が大事、植民地化を防ぐため。

海外の船に対抗するためには、鉄の船をつくる。

日本の近代化は、アヘン戦争あたり、1850年頃から。


大砲をつくる、船をつくる、石炭をつくる、この3つの産業を日本の中で育てる。
日本の場合、ものすごいスピードで、1910年ごろには、近代化を成し遂げた。

外国は100年かかったが、日本はほぼ50~60年で。

非西欧化社会では一番のスピードで、世界の水準に追いついた。

当時の石炭は筑豊で採り、上海で売られた。

高島炭鉱は、石炭で蒸気機関を動かした。明治2年頃(1869年)がスタート。

到達点が軍艦島。最終形。


30号棟、大正5年、最初の鉄筋コンクリート造集合住宅。

しかし、住宅の部分はサブで、採炭施設の方がメイン。

ストーリーが技術のストーリーで、全体のストーリーになかなかのらない。

三井、三池は住宅はない。産業はこうで、住宅はこうと言えるのだが。

技術の論理になってしまったのは非常に残念。


壊れ続けているのを文化財としていいのか?

結果的には、史跡遺産。

重要なのは岸壁、次は採炭施設、次に住宅。

ここのところをどうするのか。

廃墟として壊れていく、それでいいのか?

シルエットが変わってしまう。2次部材は壊れてよいのか?
毎年、3次元測量をやるのか?今はまだ議論の途中。

今日のシンポジウムは住宅部分が大事なのだが…。


植田実:

阿久井さんにくっついて、どうして軍艦島に行ったのか覚えていない。

1976年に軍艦島の調査結果を、「都市住宅」1976年5月号として、

大々的に特集として載せました。

その頃、デザインサーベイが流行っていて、その集大成として。

オレゴン大学が金沢の町家を調査した実測図が、

「国際建築」に紹介された。
なんでもかんでも採寸して、図面化してゆく。


読んでいるのは建築を設計している人たちです。

街並みをどうしたらよいのか、街並みが揃っている頃は、

どうだったのかが主だった。あくまで建築家の専門分野だったが、

オレゴン大学の学生が調査したのは、「外の目」でした。

脱ぎ捨てた下駄まで描いた。

日本の民家を見て、彼らはカルチャーショックで描いた。

それを我々が見て、カルチャーショックに陥った。


建築とは違う世界じゃないかと思ったが、

日本人が日本の島を観た時に、本当は異国の世界を見て、観光に陥った。

若い建築家は自分の住んでいる周辺を綿密に描いた。

例えば、アトリエ・ワン、街中の不思議な建築を取り上げた。

また乾貴美子は日本全国の街の世界を1万5000枚の写真を撮っていく。
いかに建築を作るために。

阿久井さんは、測量できるものは全部はかる。

阿久井さんは、3号でドイツの建築家について、10号でキクラテス。

ルドフスキーの「建築家なしの建築」を。アノニマスの建築を。


松葉一清:

日本の近代建築理論。歴史家として。

「プロレタリアートのリンクシュトラーセ」(環状道路)

どう位置づけるか? 開墾150年。

廃墟になった写真。土塁、防御、環状道路。


1930年代の「カール・マルクスホフ」一番大きな習合住宅。

6万3000戸の集合住宅。展覧会があった。

格差社会が問題になっているときに、集合住宅を見直す。

「資本家がつくった社宅」フーリエ主義運動など。

軍艦島は三菱の生産場所。


朝日新聞で最後に書いた記事が軍艦島。

今は不同沈下と高波によって風化している。

ドイツと比較すると、洗濯場と台所。

建具は木製だったので、たくさん中庭にたまっている。

錆びた鉄筋が飛び出している。



司会者:

いずれは風化して土に還ると阿久井さんは言ったが。


阿久井:

デザインサーベイの原点はなんだったのか?

トイレのブースに2軒分の名札が付いているのを、去年、気が付いた。

共同住宅の調査で見逃されているものは、重要なことだと思う。


植田:

阿久井さんの著作「私の建築遍歴」、必読の本。

デザインサーベイの指針、独自の視点が入っている。

住んでいる人たちが関わって、全体性を。

古い建築の何とも言えない良さがある。


片寄:

西山さんと阿久井さんの違いは?

阿久井さんは毎年暑いときに学生を連れてきた。

教育者として、軍艦島で発揮された。

西山さんは、今和次郎と張り合っていた。

軍艦島には「集落の知恵」がたくさんある。

住んでいた人に凄惨な歴史を離すと悲しい顔をする。


確かに朝鮮人が押し込められていた。

中国人が200人以上もいた。

会社の人は話す人は絶対にいない。

住んでいた人はまったく知らない。

夜勤があり、昼寝ている人もいる。

生活のルールが、知恵があった。


軍艦島は労働組合と会社とで取り決めていた。

戦後は良い生活をしていた。住み方の知恵があった。

再就職するのを怖がっていた。

他の仕事はできないんですよと言う。


西村:

世界遺産の将来像。

単に高密度だけではなく、暮らし方の工夫があった。

どこでも負の遺産を抱えている。

ピラミッドはユダヤ人がつくったが、

イスラエルは何も反対しなかったでしょう。

負の負の問題も扱う。きちんと表へ出してゆく。

イギリスのブラナボン?は住宅までちゃんと残っている。


司会:

RC造集住がどれだけ使えるのか?


松葉:

タウトの家、コルビュジエなど。

世界遺産とは何なのか、難しい。

我々は革命を起こしたわけではなくて、

産業革命で急激にやったので、ひずみがあった。

軍艦島のネガティブなものも含めて考えていったらいいのか。


植田:

建築遺産にはなかなかならないんだけど、

日本の住宅の特殊事情、上下足がある。そ

れはなんであるか、海外で問題にしている。

金沢21世紀美術館の展覧会が今度ポンピドーセンターでやる。

軍艦島は周りが海。全員が三菱。

阿久さんは、あれは特殊解としてみては負けだといった。

一般解にしていかなければならない。


片寄:

いまの話は非常に良い話だ。

無くなるからというのは、私は否定的だ。

だけど、今が見頃だから、見に来てください。


gun1 「歴史遺産・軍艦島」
第一章

阿久井喜孝研究室

実測デザインサーベイ資料図集

第二章

阿久井研究室卒業生座談会

デザインサーベイを振り返って

発行:2016年2月

TDU軍艦島実行委員会

東京電機大学未来科学部建築学科

東京電機大学建築学科同窓会あぶの会


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世界文化遺産・軍艦島へ行った・上陸編!

世界文化遺産・軍艦島へ行った・遠景編!