「防災まちづくり 住民主役」! | とんとん・にっき

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来るもの拒まず去る者追わず、
日々、駄文を重ねております。

「災害に強いまち」は簡単につくれない。人口が密集し、防災が弱点とされる東京。命を守る取り組みを通じ、地域のつながりを紡ぐまちを訪ねた。


という書き出しで始まる今朝の朝日新聞の記事、まさに「防災まちづくり 住民主役」です。そこにはお元気そうな梅津さんのお顔が。記事には85歳とあります。新聞の写真を通じてですが、お久しぶりにお顔に接することができました。うれしく思います。


太子堂は都内有数の木造住宅密集地域、火災の延焼や倒壊の危険性が指摘され、建て替えを促す「不燃化特区」に指定された地域です。世田谷区は1979年、太子堂2、3丁目を防災まちづくりのモデル地区に選びました。「住民参加」を掲げて、住民と区、そして住民同士が納得いくまで話し合いをする、それが「太子堂まちづくり」の基本でした。「まちづくり協議会」の、その中心にいた人が梅津政之輔さんでした。


今では当たり前に使われている「ワークショップ」を引っ提げて、当時東工大の大学院生だったK君と二人で梅津邸を訪れたのは1985年頃でした。梅津さんの第一声は「ワークショップって、なに?」でした。僕が以前勤めていた事務所を辞めて、個人で設計事務所を始めようとしていた頃でした。その後の太子堂とのかかわりで、僕もK君も「住民主体のまちづくり」について学び、僕たちの大きな転機となりました。「太子堂の街づくり」が全国のまちづくりの手本としてあるのも、梅津さんがいたからに他なりません。梅津さん、どうぞいつまでもお元気で!


朝日新聞:2016年1月7日朝刊・東京版

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