東京国立博物館で国宝「檜図屏風」を観た! | とんとん・にっき

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狩野永徳の国宝「檜図屏風」、大修理が終わって公開されているというので、行ってきました、東京国立博物館へ。なにはともあれ本館2階の国宝室へ。


安土桃山時代という戦乱期のなか、次々と大作に挑んでいった永徳。狩野派随一の天才と称される彼の作品は、戦火とともに多く失われましたが、最晩年の作といわれる国宝「檜図屏風」は、いまもなお私たちの目の前にあります。およそ400年を経て、このたび行われた”平成の大修理”により新たに見出された真実の数々。


国宝「檜図屏風」は、実は”襖絵”として描かれたもの。その痕跡は随所に見られ、襖の引手部分を補った跡や、4枚の襖絵を1枚に連ねたために生じたずれなどがありました。そこで、絵の汚れや傷みへの対処とともに、当初の見え方に近づけるために、1年半にも及ぶ大修理を実施。その過程で、絵の裏面から”五七桐紋”(最初の所有者とされる八条宮家ゆかりの文様)が発見されたことなど、いまあらためて注目されています。


2012年10月から18か月にわたり大修理が行われました。今回実施された修理とは? そして、修理過程で得られた新知見とは? 以下に、ポイントを整理しておきます。


・全面的な解体修理

絵の具の剥落止め、本紙が裂けた部分の補強に加え、裏打紙や骨下地の新調など、根本的な安定を図る処置が行われました。ホコリなどでくすんでいた画面も明るくなりました。


・原型を意識した現状変更

本来の襖絵から8曲1隻の屏風に仕立てられる段階で、絵柄にズレが生じ、本来の表現を損なっていました。今回の修理では原型の襖を意識した、4曲1双の屏風に改装しました。


・復元された唐紙

修理中の本紙裏面から五七桐文の痕跡を発見しました。調査の結果、八条宮家の別邸である桂離宮古書院の襖の文様と一致。本作は八条宮邸の襖絵であったといわれており、その証の一つと考えられます。宮内庁京都事務所のご協力により、桂離宮の修理で使われた版木をお借りし、新規に唐紙を復元製作しました。







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