東京都美術館で「ウフィツィ美術館展」を観た! | とんとん・にっき

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東京都美術館で「ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで」(2014年10月11日~12月14日)を観てきました。かなり前に前売券を買って楽しみにしていた展覧会でしたが、観に行ったのは会期末も迫る12月12日のことでした。混雑すると困るので開館時間9時30分の少し前に美術館前に到着しました。もう20数人が並んで門扉が開くのを待っていました。


ウフィツィ美術館とは、

メディチ家一族が蒐集した膨大なコレクションを核とする美術館。建物はメディチ家のコジモ1世の時代に、ジョルジョ・ヴァザーリの設計により建設された。かつてメディチ家の事務所として用いられていたことから、イタリア語で「オフィス」を意味する「ウフィツィ」と呼ばれるようになった。美術館の始まりは、1581年にトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチが代々のコレクションを陳列したことにさかのぼる。18世紀にメディチ家の継承者が途絶えたとき、最後の子孫は、一族の美術品がフィレンツェに残り、市民に供されることを条件に、大公国にコレクションを寄贈した。その後、イタリア政府に委譲され、国立の美術館となった。ボッティチェリの「春」や「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」など、イタリア・ルネサンスの名画を多数所蔵する美術館として名高い。


そうなんですよ、辻邦生の「春の戴冠」(新潮社:1977年5月25日発行)を読み、たまたまフィレンツェへ行く機会があり、ウフィツィ美術館でボッティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」を観たときは、感動のあまり身体がふるえました。1990年夏のことです。その後、2004年冬にもウフィツィ美術館を訪れる機会があり、再度「春」と「ヴィーナスの誕生」を観ることができました(以前、フィレンツェを訪れたのは3度、と書いたことがありますが、2度の間違いでした)。「春の戴冠」は何度も読み直そうとしているのですが、細かい活字で2段組みの分厚い本なので、なかなか読み直せないでいます。


国立西洋美術館で「ウルビーノのヴィーナス」展が、2008年3月から5月にかけて開催されました。いうまでもなくティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」は、ウフィツィ美術館所蔵のものです。メディチ家のコレクションを核に設立されたウフィツィ美術館、チラシにもある通り、ルネサンスを代表する画家ボッティチェリの作品を多数所蔵する美術館です。今回はボッティチェリの「パラスとケンタウロス」を目玉とし、他にアンドレア・デル・サルトやポントルモ、ブロンヅィーノら、16世紀のフィレンツェ美術を牽引した画家たちの作品約80点が展示され、フィレンツェ・ルネサンスの理解に供されています。


ボッティチェリの「パラスとケンタウロス」、ウフィツィ美術館の「ボッティチェリの間」に、「春」と「ヴィーナスの誕生」の間に展示されていました。今回この作品を観て、僕が思っていた以上に大きな作品だったので驚きました。ウフィツィ美術館では、どうしても「春」と「ヴィーナスの誕生」に目がいってしまい、「パラスとケンタウロス」をよく観ていなかったと反省しています。


「パラスとケンタウロス」は、フィレンツェのラルガ通りにあった、という。ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチとその弟ジョヴァンニ・ディ・ピエルフランチェスコが所有する館に由来し、同館1階の部屋に「春(プリマヴィーラ)」とともに掛けられていた、という。1540年代には他のボッティチェリ作品とともにカステッロのメディチ家のヴィラに移され、「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」と同じ部屋に掛けられていた、という。


「パラスとケンタウロス」、画面右方に立つ女神ミネルヴァ(パラスはミネルヴァの異名)は盾を背負い、左手で巨大な鉾槍を支えつつ、右手でケンタウロスの髪をつかんでいます。ミネルヴァは頭にオリーブの冠を載せ、衣装はダイヤモンドの指輪を組み合わせた文様が縫い取られています。知恵と学問の女神ミネルヴァと半人半獣のケンタウロスの解釈については、諸説あるようです。例えば、ケンタウロスは人間の本能であり、クビドの矢と弓を持つことから、彼が肉欲の虜となっていることを示し、それに対してパラスは美徳の象徴であり、賢明の槍を持つのだという。


最後の章「フィレンツェ美術とメディチ家」では、ブロンヅィーノによる歴代メディチ家一族の6点の細密画が出されていました。これらはヴァザーリが「ありのままで、美しく生き生きとして、本人と生き写しに描かれた」と評しています。ヴァザーリは「画家・彫刻家・建築家列伝」を記したことでも知られ、彼自身、建築家でもあり、画家でもありました。彼は、建築や絵画では後世に残る抜きんでた作品はないにしても、フィレンツェ・ルネサンス期を代表する「万能の天才」とも呼べる人物でした。


展覧会の構成は、以下の通りです。


Ⅰ 大工房時代のフィレンツェ

Ⅱ 激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来

Ⅲ 「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生

Ⅳ フィレンツェ美術とメディチ家



Ⅰ 大工房時代のフィレンツェ




Ⅱ 激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来





Ⅲ 「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生




Ⅳ フィレンツェ美術とメディチ家




「ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス

 ボッティチェリからブロンヅィーノまで」

イタリア・ルネサンスの中心都市フィレンツェでは、15世紀以降、工房による組織的な制作活動が盛んになり、数多くの優れた芸術家が生まれました。彼らは互いに切磋琢磨し合うなかで、工房の画一的な様式を越えた表現を探求し、ヴァザーリが「マニエラ・モデルナ(新しい様式)」と呼ぶところの、16世紀の卓越した新時代様式が開花します。本展は、世界的に名高いウフィツィ美術館の収蔵品を通して、15世紀から16世紀にかけてのフィレンツェ美術の流れを展観します。メディチ家のコレクションを核に設立されたウフィツィ美術館はもっとも歴史があり、ルネサンスを代表する画家ボッティチェリの作品を数多く所蔵する美術館としても知られています。本展は、《パラスとケンタウロス》をはじめとするボッティチェリ作品を紹介するほか、アンドレア・デル・サルト、ロッソ・フィオレンティーノ、ブロンヅィーノら、16世紀のフィレンツェ美術を牽引した主要な画家たちの約80点におよぶ作品を通じて、豊かで多様なフィレンツェ・ルネサンスの真髄に迫ります。


「東京都美術館」ホームページ


uff3 「ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス

 ボッティチェリからブロンヅィーノまで」

図録

日本側責任編集:小佐野重利

イタリア側責任編集:マルタ・オナーリ

編集:

  小林明子(東京都美術館学芸員)

  伊藤拓真(恵泉女学園大学准教授)

  TBSテレビ

発行:TBSテレビ



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