ノルマンディー地方の「ルーアン」と「オンフルール」! | とんとん・にっき

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来るもの拒まず去る者追わず、
日々、駄文を重ねております。


旅行ガイドの「ノルマンディー」の項には、モン・サン・ミシェル、ルーアン、エトルタ、オンフルール、ル・アーヴル、ジベルニー、などが並べられていました。先日、損保ジャパン日本興亜美術館で観た「ノルマンディー展」では、「フランス北西部に位置するノルマンディーは、海に面した風光明媚な地方」であり、「絵になる風景(ピクチャレスク)」として取り上げていました。したがって、イザベイ、クールベ、ブーダンからデュフィまで、多くの画家を魅了した地域だったというわけです。僕は、4月末にフランス8日間の旅をしました。その旅でたまたまこの地方を観て回り、「ノルマンディー展」で観た風景がいくつも思い当りました。


フランス8日間の旅の3日目のスケジュールは、以下のようにありました。

☐シャンティイ

 約140km

☐ルーアン

 ルーアン観光

  ・ノートルダム寺院

  ・ジャンヌダルク広場

  ・時計台

 約92km

☐オンフルール

 オンフルール観光

  ・旧港の散策

  ・サント・カトリーヌ教会

 約200km

☐モンサンミッシェル


実は8月初めに、パソコンのトラブルで、保存してあった画像がすべて消失してしまい、元には戻せなくて愕然としました。保存しておかなかった僕が悪いので、当然の報いです。今後は、いまあるものでブログを書いていかざるを得なくなりました。そんなわけで、「ルーアン」と「オンフルール」については、購入した小冊子があったので、それから画像を取り、この記事を書いています。


いつものことながら、行く前には下調べも何もしないので、「ルーアン」も「オンフルール」も、行ってみて初めてどういう街なのかがわかりました。前の日にモネの家や庭のある「ジベルニー観光」をした次の日に、「ルーアン」と「オンフルール」に行きました。モネの「ルーアン大聖堂」は、何度か観ていたので、ルーアンの地名は知っていました。


「オンフルール」は、初めて知った地名でした。「ノルマンディー展」で、カミーユ・コローの「オンフルール」やアレクサンドル・デュブールの「オンフルールの波止場」、そしてヨハン・バルトールト・ヨンキントの「サント=カトリーヌ教会前の市場」、アンリ・ド・サン=デリの「オンフルールの市場」(これもサント=カトリーヌ教会を描いている)など、見たことのある地名や名称が出てきました。「ああ、これがオンフルールだ」と気がつきました。


オンフルールでは、ちょっとだけ時間があったので、探しに探して「ブーダン美術館」を訪れ、ブーダンのオンフルールを描いた図録と、モネのノルマンディーを描いた図録を購入しました。残念ながら時間の関係で、ブーダン美術館の展示品は観ることができませんでしたが…。運よく、損保ジャパン日本興亜美術館の「ノルマンディー展」で、ブーダン美術館の作品を多数観ることができました。


ルーアン

セーヌ川の河川港としてローマ時代からの歴史をもち、後にノルマンディー公国の首府としても栄えた古都。木骨組の家が並ぶ旧市街には、荘厳なゴシック様式の大聖堂や教会が点在する。大聖堂は印象派の画家モネによって描かれ、世界に知られることになった。15世紀にジャンヌ・ダルクが火刑に処された町としても知られ、悲劇の場所には彼女の名を冠した教会が建つ。サン・マクルー中庭は、中世の大墓地の面影を残す場所。14世紀、ルーアンをペストが襲った際、市民の1/4が亡くなり、その大量の遺骨を収容するために作られたのがこの建物。









サント・カトリーヌ教会:オンフルール

オンフルールの広場に建つ教会。フランス最古かつ最大の木で作られた教会です。15世紀、百年戦争の時に壊された教会を、フランスでは珍しく、石ではなく木を使って、船をつくる職人たちが再建しました。









france 「地球の歩き方A06フランス 2014~2015版」

2013年11月29日改訂第29版第1刷

著作編集:地球の歩き方編集室

発行所:株式会社ダイヤモンド・ビック社

発売元:株式会社ダイヤモンド社