森村泰昌の「生き延びるために芸術は必要か」を読んだ!
森村泰昌の「生き延びるために芸術は必要か」(光文社新書:2024年4月30日初版1刷発行)を読みました。
先行き不安な時代・・・
「私」と「人間」の
ゆくすえを考える
セルフポートレート作品で知られ、
「私とは何か」を追求してきた美術家が、
「生き延びる」ことについて綴った
M式・人生論ノート
2019年から現在まで、某大学で毎年数回の講義を担当させてもらっている。美術家としての私がその時々に考えたこと、伝えたことをお話するのだが、これまでの議論をふりかえってみると、「生き延びる」というテーマに関連した内容が意外におおかった。そしてこの地道につづけてきた講義もまた、私にとっての「できることからはじめてみる」こころみだったのではと、しだいにそう思えるようになってきた。ならbこの講義の記録を下敷きにして、あらためて「生き延びる」もんだいにむきあってみてはどうだろうかと考えた。その私なりのむきあいかたのお披露目が本書にまとまっていった。
(「はじめに」より)
自然災害、戦争、差別、AIの発達、地球環境、パンデミック、情報革命、差別、貧困・・・「生き延びること」について危機を痛感する事態が繰り返し起きている。ゴッホの自画像など、歴史的な名画に扮したセルフポートレート作品で知られ、「私」の意味を追求してきた美術家モリムラが、「芸術」を手がかりに、「生き延びるとは何か」というテーマに取り組んだ、M式・人生論ノート。
生き延びるために芸術は必要か 目次
はじめに ――なぜ、「生き延びる」なのか
その家はまだ生き延びている
建物と終活
建物を介護する
役に立つことと、生き延びることはおなじではない
できるところからはじめてみる
「生き延びる」を、異なる角度からながめる
第一話 生き延びるのはだれか
「生き延びるのはだれか」という問いかけ
マクロの視点をリサイズする方法
”SFの世界”にリサイズする
おもしろければ、まちがっていてもよい
SFには予見性がある
SFにかくされた共通のテーマをみつけだす
「2001年宇宙の旅」とHAL9000
「ニューロマンサー」と冬寂(ウィンターミュート)
「ブレードランナー」とアンドロイド
生き延びたいとねがうのはだれか
第二話 「私」が生き延びるということ・その1
――フランシスコ・デ・ゴヤのばあい
プラド美術館の思い出
「カルロス四世の家族」は事件である
家族の肖像画にかくされた秘密とはなにか
ゴヤvsマリア・ルイ―サ
ゴヤは画家としていかに生き延びたか
第三話 「私」が生き延びるということ・その2
――ディエゴ・ベラスケスのばあい
「ラス・メニーナス」とのはじめての出会い
「ラス・メニーナス」は過激である
「ラス・メニーナス」の謎を追う
ベラスケスが仕掛けた謎ときゲーム
リュパログラフォスの遺言
第四話 華氏451の芸術論
――忘却とともに生き延びる
いま、ここで語ること
「華氏451」とはなにか
「本になる人びと」がおしえてくれること
「エルミタージュの聖母」を読む
戦時下のエルミタージュ美術館でおこったこと
エルミタージュの奇跡とはなにか
第五話 コロナと藝術
――パンデミックを生き延びる
はじめに
”これまで経験したことのない事態”
――1930年代のアメリカ
ニューディール政策をふりかえる
フェデラル・ワンの成果
不況下で育っていった芸術家たち
芸術家を支援するには鉄則がある
”これまで経験したことのない事態”
――1940年代の日本
1941年の日本に生きる画家
「生きてゐる画家」が伝えたかったこと
芸術とは、百年単位で作り上げる「普遍妥当性」である
「立てる像」が沈黙のうちに語りかけるもの
コロナの時代に私が生き延びる
――2020年の日本
こんなんでひと、くるやろか
無観客の展覧会とはなにか
パンデミックからまなぶもの
第六話 生き延びるために芸術は必要か
――作品、商品、エンタメ、芸能、そして「名人伝」
芸術は「不要不急」の活動か
「作品」と「商品」はなにがちがうのか
「あったらいいな」と「ありえへん」
エンターテインメントとはなにか
美術館は、よくわからない
芸術はスフィンクスである
「芸術」と「芸能」と比較する
芸術の「究極のビジョン」とはなにか
第七話 芸術家は明治時代をいかに生き延びたか・その1
――夏目漱石と「坂の上の雲」から明治を読み解く
青木繁と「坂の上の雲」
夏目漱石、登場。しかし
「坂の上の雲」にみる明治像
「貧乏がいやなら、勉強をおし」の精神
若い者の胸をあわだたせていた時代
正岡子規と青木繁に流れる明治の血気
漱石作品があらわすもうひとつの明治
「坂の上の雲」と「三四郎」を読みくらべる
漱石は青木繁になにを感じたか
漱石が力説する「牛の哲学」
第八話 芸術家は明治時代をいかに生き延びたか・その2
――青木繁と坂本繁二郎が残したもの
ふたりの「繁クン」があゆんだ道
坂本繁二郎の奇跡
黒田清輝が留学先で考えたこと
黒田清輝が日本に持ちかえろうとしたもの
あかるい日本の風景を描く
青木繁が東京にやってきた
「海の幸」をあらためて検証する
「上古に傳はらない人間の歴史の破片」としての「海の幸」
青木繁とファン・ゴッホはよく似ている
坂本繁二郎とゴーギャンはよく似ている
坂本繁二郎の過激な寡黙
坂本繁二郎の足跡を追う・その1(牛)
海岸の牛(1914)/三月頃の牧場(1915)/牛(1920)
坂本繁二郎の足跡を追う・その2(馬)
放牧三馬(1932)/甘藍(1941)
坂本繁二郎の足跡を追う・(能面)
能面(1949)/能面(1954)
ふたりの遺作が語ること
幽光(1969)
おわりに ――生き延びることは勇ましくない
「アイデンティティの空白」を批判される
みんなといっしょはいやだな
見ざる、聴かざる、知らざるの精神
勇ましく生き延びることから芸術は生まれるのか
建物を荼毘に付す
生き延びるためには、勇ましくあってはならない
持続不可能性建築に託すもの
あとがき
森村泰昌:
1951年、大阪市生まれ。美術家。京都市立芸術大学美術学部卒業、同大学美術学部専攻科修了。85年、ゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真「肖像・ゴッホ」を発表。以降、今日に至るまで、一貫して「自画像的作品」をテーマに作品をつくりつづける。国内外で多くの展覧会を開催。ヨコハマトリエンナーレ2014ではアーティスティック・ディレクターを務める。18年、大阪市北加賀屋に「モリムラ@ミュージアム」をオープン。著書に、「自画像のゆくえ」(光文社新書)など多数。07年、芸術選奨文部科学大臣賞、11年、毎日芸術賞を受賞、同じく11年、一連の芸術活動により紫綬褒章を受章。22年には、「人間浄瑠璃 新・鏡影綺譚」で企画、床本を担当し、文楽の人形遣い・桐竹勘十郎氏と出演するなど活動の幅を広げつつ、「私とは何か」という問いを追求しつづけている。
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朝日新聞:2024年5月18日