東京都写真美術館で「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を観た!その1 | とんとん・にっき

東京都写真美術館で「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を観た!その1

「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」
チラシ

 

「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」案内板

 

東京都写真美術館で「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を観てきました。

 

日本近代写真の巨匠、没後50年。

半世紀ぶりによみがえる

生前最後の展示プリント特別公開。

本展は日本写真史に大きな足跡を残した写真家・木村伊兵衛(1901-1974)お没後50年展として、その仕事を回顧するものです。1920年代に実用化が始まったばかりの小型カメラに写真表現の可能性をいち早く見出し、それを駆使した文芸評論家のポートレート、あるいは東京下町の日常の場面を素早く切り取るスナップショットで名声を確立しました。1933年に開催された「ライカによる文芸家肖像写真展」では、従来の型にはまった肖像写真ではなく、被写体の一瞬の表情の変化を捉える独自のスタイルを確立し、また1936年には初めて沖縄を訪れて生活感にあふれた日常を記録するなど、”ライカの名手”としての名を早くに馳せました。

木村伊兵衛はまた、広告宣伝写真や歌舞伎などの舞台写真、カラーフィルムによる滞欧作品、秋田の農村をテーマにするシリーズなど、実にさまざまな被写体を捉えた数多くの傑作を残しました。その卓越したカメラ・ワーク、そして写真機材や感光材料への深い理解などは、旺盛な好奇心と豊かな体験に裏付けられています。印刷メディアを媒体として人間の営みのイメージを伝えるという写真の社会的な機能を自覚して、自らを「報道写真家」と位置づけました。その独特な眼差しにこだわった写真表現は、きわめてユニークなもので、見る者の記憶の中にいつまでも生き続けます。

没後50年に合わせ、本展では最近発見されたニコンサロンでの木村伊兵衛生前最後の個展「中国の旅」(1972-1973)の展示プリントを特別公開します。

 

「一眼レフのライカを持った自写像」木村伊兵衛、1965

 

木村伊兵衛:

東京下谷の紐職人の家に生まれる。1924年に自宅で写真館を開き、1929年、花王石鹸の広告部門でプロ写真家として活動を開始。雑誌「光画」に発表した東京の下町のスナップショット、「ライカによる文芸家肖像写真展」で頭角を現し、以後、「ライカ使いの名手」として活躍する。1950年、日本写真家協会初代会長に就任。アマチュアの指導者としても、土門拳とともに「リアリズム写真」の運動を推進した。

 

展覧会の構成は、以下の通りです。

第1章 夢の島――沖縄

第2章 肖像と舞台

第3章 昭和の列島風景

第4章 ヨーロッパの旅

第5章 中国の旅

第6章 秋田の民俗

第7章 パリ残像

 

ここでは三つに分けて作品を載せます。

はじめに第1章から第3章までをその1として以下に載せます。

 

第1章 夢の島――沖縄

 

「那覇の市場、米穀店の前で」沖縄、1936

 

「那覇の市場、本通り」沖縄、1936

 

「子どもたち」那覇、沖縄、1936

 

「漁師と家族」那覇、沖縄、1936

 

第2章 肖像と舞台

 

「横山大観(画家)」
上野池之端の自宅、東京、1938

 

「谷崎潤一郎(作家)」熱海、静岡、1950

 

「永井荷風(作家)」浅草仲見世、東京、1954

 

「高峰秀子(女優)」1956

 

「中村雁治郎(左)と中村扇雀(右)」
(曽根崎心中)、1953

 

第3章 昭和の列島風景

 

「大原にて」京都、1936

 

「漁村、出船の準備」1940-1941

 

「眼鏡橋」長崎、1953

 

「本郷森川町」東京、1953

 

「町廻り、佃島界隈」東京、1953

 

「駄菓子屋」江東、東京、1954

 

「子ども」月島、東京、1954

 

第4章以下、続く。

 

「新版 木村伊兵衛 写真に生きる」

2024年3月9日第1刷発行

著者:木村伊兵衛

編集:多田亞生、大宮伸介、木村麻紀子

発行所:株式会社クレヴィス

 

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