100分de名著「知里幸恵『アイヌ神謡集』」! | とんとん・にっき

100分de名著「知里幸恵『アイヌ神謡集』」!

 

知里幸恵(「アイヌ神謡集」初版本より)

 

梟の神の自ら歌った謡

「銀の滴降る降るまわりに」(冒頭)

 

「アイヌ神謡集」のための直筆ノート

(所蔵:北海道立図書館北方資料室)

 

100分de名著「知里幸恵『アイヌ神謡集』」目次

 

 

 

「銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに」という美しいフレーズで始まる「アイヌ神謡集」。才能を惜しまれながらわずか19歳で世を去った知里幸恵(1903ー1922)が、アイヌ民族の間で謡い継がれてきた「カムイユカㇻ(神謡)」の中から13編を選び平易な日本語訳を付して編んだものです。

アイヌ民族の一人として生まれ、幼いころから数々の差別や偏見を経験してきた知里幸恵。自らのアイデンティに悩みながらも、祖母や叔母から聞き覚えた数々の物語からアイヌ文化の豊かさ、奥深さを学び、誇りをもつようになります。そして1918年8月、15歳の時、言語学者・金田一京助との出会いが幸恵の運命を変えました。アイヌ文化・言語の調査で北海道を訪れていた金田一は、幸恵の才能を見出し、「カムイユカㇻ」を記録し本として出版することを薦めたのです。心臓の弱さを抱えながら執筆、推敲を重ねる幸恵。1922年についに完成しますが、校正をし終えた当日夜、同年9月18日、急逝します。「アイヌ神謡集」は知里幸恵が命がけで遺した作品なのです。

「アイヌ神謡集」を読むと、現代人が失ってしまった豊かな世界観を感じ取ることができます。自然を含めたあらゆる存在が相互に支え合い豊かさを生み出していることの素晴らしさ、言葉を交わすことでそれぞれの役割を自覚し尊重し合うことの大切さ、互いに喜びや美しさを共有することのかけがえなさ……神謡をコミュニティの中で謡い、聞くという行為に思いを巡らせると、今、学び直すべき生き方のヒントを数多く見つけることができるのです。

番組では、アイヌ文化研究者である中川裕さんを指南役に招き、「アイヌ神謡集」に新たな光を当てながら解説。知里幸恵没後100年の節目に、知られざる豊かなアイヌの世界観を明らかにしていきます。

 

 

第1回 アイヌの世界

「アイヌ神謡集」を読み解いていくと、アイヌ文化の豊かさ、奥深さが浮かび上がってくる。例えば、神謡はすべて「カムイ」の視点から描かれている。「カムイ」は「神」と訳されるが、通常思い描く「神」とはまるで違う。アイヌにとって「カムイ」とは、動物、植物、鉱物など自然界のほぼすべてのものを指す。また人間が作った道具や衣服、住まいなども「カムイ」だ。そして「カムイ」は超越的な存在ではなく人間と全く対等にやりとりする。あらゆる存在がつながり、支え合い、時に罰し合う有機的な世界観がアイヌの豊かな文化を支えているのだ。第一回は、「沼貝」「キツネ」などの神謡を読み解くことで、あらゆる存在と共生するアイヌの豊かな世界観を明らかにする。

 

第2回 「語られる物語」としての神謡

「アイヌ神謡集」は文字ではなく口承で伝えられたもので耳で聴くことで初めてその魅力を知ることができる。特に特徴的なのは「サケヘ」という特殊な言葉。「トワトワト」「カッパ レウレウ カッパ」等々それぞれのカムイの特徴を表す擬声語のことも多く意味は不明だ。だが、謡う中で、リズムを整え神謡の芸術性を高めていく働きももっている。第二回は、耳で聴く「アイヌ神謡集」の魅力を浮き彫りにし、口承文芸の豊かな可能性を明らかにしていく

 

第3回 銀の滴降る降るまわりに

フクロウのカムイの視点で描かれる「銀の滴」は、最も謎の多い神謡だといわれている。フクロウは中盤で矢で射られるが、その矢をしっかりつかんだと描かれている。ところが、次のシーンでは死者として祭られているのだ。これは魂の世界と現実世界が並行して描かれているアイヌの世界観ならでは描写だという。第三回は、最も有名な「銀の滴」の深層を読み解き、更に奥深くアイヌの世界観に迫っていく。

 

第4回 知里幸恵の想い

幼い頃様々な差別に直面し自らのアイデンティティに悩んでいた知里幸恵。15歳のときに出会った言語学者の金田一京助が彼女を新しい世界に導き、彼女はアイヌと和人たちとの間の懸け橋になったという美しい物語が一方にある。だが、金田一京助はアイヌに対しては同化推進者。あまり語られてこなかったが「序」を子細に読み解くと金田一のこの姿勢に対して抵抗しようとする知里幸恵の姿が浮かび上る。第四回は、近代化とアイヌ文化保存という矛盾に引き裂かれた知里幸恵の人生を辿ることで、本当の意味で固有の文化を守るとはどういうことかを深く考える。

 

 

知人にいただいたアイヌの絵葉書

「制作:藤戸ひろ子 撮影:宇井眞紀子」