スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」の紹介! | とんとん・にっき

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」の紹介!

 

朝日新聞の「ひもとく 戦争と平和③」(2022年8月20日)に、フォトジャーナリストの安田菜津紀が、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」を紹介していました。

 

この本、文庫本(2020年3月5日第10刷発行)が出てすぐ、2年前に購入しましたが、ブログに載せようと思いながら、なかなか読むチャンスが巡ってこず、とうとう今に至ってしまいました。つまり、2年間、積読状態のままで、なさけない。拾い読みはしていましたが、そんなことはなんの言い訳にもなりませんが…。この際、これ幸いと安田菜津紀に便乗して…。

 

安田菜津紀は、言う。

政党関係者の演説動画から飛び出した言葉、「戦争というものは悲惨なものじゃないんですよ」という勇ましい「男の言葉」で語られた「男の戦争観」に対して、戦時下を生きた、今まさに生きている女性たち、子どもたちの声にこそ、耳を傾けるべきだと。そしてスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチが戦禍を生き抜いた女性たちの心の道筋をたどった、「戦争は女の顔をしていない」を隅々まで読み、彼女たちの言葉を深く刻みつけるといい、と続ける。

 

「悲惨ではない」と言い放った彼らには、慟哭のような女性たちの言葉が届くだろうか。泣き声が響いては皆が危険にさらされるからと、自らの赤ん坊を冷たい沼に沈めるしかなかった母親の押し殺した叫びが。戦地で男たちと共に銃を持ち、シラミと汚泥にまみれ、生理の経血を垂れ流すほかなく、しまいにはその生理さえ止まってしまった女性たちの悲鳴が。終戦後も「戦地ではたくさんの男と寝たんでしょ?」「戦争の雌犬め」と、あらゆる侮辱に耐えなければならなかった苦しみが。戦地にイヤリングをひそかに隠し持って行った、ささやかな「抵抗」が。戦争の「勝利」にわく巨大な渦の中、時になきものとされてきた、「小さき人々の物語」がここには凝縮されている。

 

そして、何人かの女性たちが証言する。捕虜になり、性暴力で妊娠をした末に自ら命を絶ったロシアの女性や、一晩中、兵士に暴行されたドイツの少女たちのことを。これは、決して欧州の地だけで起きたことではない。

 

人間は戦争よりずっと大きい

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ

(執筆日誌1978年から1985年より)

母の父親であるウクライナ人の祖父は戦死して、ハンガリーのどこかに葬られており、ベラルーシ人の祖母、つまり、父の母親はパアルチザン活動に加わり、チフスで亡くなっている。その息子のうち二人は戦争が始まったばかりの数ヶ月で行方不明になり、三人兄弟の一人だけが戻ってきた。それがわたしの父だ。誰のところでも、死のことを考えないではいられなかった。いたるところに黒い影がつきまとっていた。・・・子供だったわたしたちは戦争のない世界を知らなかった。・・・わたしが子供時代を過ごした村は女しかいなかった。女村。男の声は聞いたことがなかった。戦争の話をするのは女たち。泣いている。

 

こうして、500頁弱の長篇、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」は始まります。

 

朝日新聞:2022年8月20日

 

「完全版 チェルノブイリの祈り―未来の物語」

2021年2月17日第1刷発行

著者:スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ

訳者:松本妙子

発行所:株式会社岩波書店

(持ってはいるが、まだ読んでいません)