芥川賞候補作、千葉雅也の「オーバーヒート」を読んだ! | とんとん・にっき

芥川賞候補作、千葉雅也の「オーバーヒート」を読んだ!

 

芥川賞候補作、千葉雅也の「オーバーヒート」を読みました。

 

芥川賞候補作「オーバーヒート」新潮社

東京から大阪に移り住み、京都で教鞭を執る哲学者。「言語は存在のクソだ!」と嘯きながら、言葉と男たちの肉体とのあいだを往復する。年下の恋人への思慕、両親の言葉、行きつけのバー、失われた生家である「大きな白い家」、折々のツイート……「僕」を取り巻く時間と人々を鮮やかに描く表題作。ハッテン場と新宿2丁目の移ろい、甦る記憶が現在を照射する川端賞受賞作「マジックミラー」を併録。『デッドライン』で鮮烈な小説家デビューを果たした哲学者による文学の最前線!

 

飲みに行ったあと、僕の部屋でセックスをした。それはいつも通りのことだった。挿入はしない。ただじゃれ合うように交替で体の表面を刺激し合い、我慢の果てに精液がほとばしるに至って、そのあと二人でタバコを吸っているこの少し気まずい時間が好きだ。・・・晴人が予想通り帰ってしまってデートが終わり、それからシャワーで陰毛から腹にこびりついた精液を洗い流し、別の服に着替え、傘を差して自転車でバーにやってきた。

 

この大坂という都市を僕は何も知らない。・・・週に三回ほど京都にある大学へ通い、あとは近所の喫茶店で原稿を書いている。今年は2018年で、5年前、2013年の春に大阪へ引っ越した。博士論文が終わり、それで15年を超える東京での学生時代が終わり、幸運にも一年後に京都の私立大学に准教授として採用が決まったのだが、住むのは大阪にした。・・・僕は栃木県宇都宮市の生まれで、一族は栃木と東北で、関西にはまったく縁がない。

 

大坂は、生きているのか死んでいるのかわからない。それでも行きつけのバーができてから、ここがホームだと思えてきた。阪急梅田駅から自転車で帰る途中、そのバーの青いネオンサインが気になっていたが、どうも常連ばかりのように見えて入りづらかった。やっと勇気を出したのは、越してきて一年は経ってからだ。最初に入ったときは女性のバーテンダーがいた。なっちゃんという名前で、溌剌としていて一見の客にも親切、距離の取り方がうまくて好印象だった。

 

そして11時を回った頃、なっちゃんが出勤してくる。薄い色の、この暗さではよく見えないがたぶん薄茶の、バゲットを入れるパン屋の紙袋みたいな上着を着た女性が「おはようございます」と快活に入ってきた。その上着をハンガーにかけると、仕事用の真っ白なブラウスをぴったり身に沿わせていた。きれいな人だなと思った。・・・なっちゃんは変に媚を売るような営業はせず、パリッとしたブラウスの白にふさわしく毅然としていて、島崎さんの片腕として的確な動きを見せていた。

 

僕にとって大阪がどこも無意味に見えるのは、土地が帯びる意味が濃厚すぎて、異邦人である僕ではアクセスできないからだ。反対に、東京が僕にとって意味に満ちたものと思えるのは、東京はいたるところが無意味に至るまで歴史性を奪われた表面的都市であって、そのツルツルの表面を好きに滑り回って物語をつくることができたからだ。

 

同性愛はやはり「倒錯」である。異常と言ってもいい。生物は繁殖を目指すものだとすれば、やはり異常である。「普通」でなくて何が悪いのか。異性愛にしてもいろんなケースがあり、その多様性も倒錯的である。異常な異性愛もある。みんな普通だ、ではない。みんな倒錯だ。というのが蕎麦屋から投稿したツイートで、すぐさま「いいね」が20を超え、二回リツィートされた。学者っぽい真面目さとアジテーションを混ぜて一丁上がりである。 

 

晴人の少し冷たい目が好きだ。あまり表情を変えずにしゃべる。背丈は僕よりちょっと晴人の方が大きい。晴人はウェブサイトを作る仕事をしている。・・・多少は本を読む人で、僕の仕事にも興味を持ってくれているが、最初は互いに素性をよく知らないまま付き合い始めたのだった。僕らは堂山のゲイクラブで知り合った。

 

「同性愛はやはり「倒錯」である。異常と言ってもいい」という機能のツィートだ。

逆張りでは社会を変えることはできません。

ほほう。こめかみに力が入る。アカウントを確認すると、アイコンは当人の顔らしく、モノクロで、真横を向いた黒縁メガネの男性だった。小野寺真一というアカウント名。本名なのだろう。そのプロフィール欄は雄弁なものだった。東京の私大の経済学部准教授で、著作が挙げられている。・・・ともかく「#LGBTは普通」運動を混ぜっ返す発言が気に入らないような陣営の人間であることは、まあわかる。しかし、「逆張り」ねえ。

 

食事に行ってから二人で部屋にいるという状況で、これから体を重ねるということは暗黙の了解で、年上だからなのか僕が誘いかけて事が始まる。晴人の太腿に手を這わせ、そうすると晴人は僕の髪を 撫で始める。そしてベッドに移動する。僕らはどちらがタチともウケともつかない関係だった。・・・僕らは互いの性にどこまで踏み込んでいいのか探りながら、体を舐め合いフェラチオをして、最後は手でイカせる。いわゆるバニラ・セックスで、長い付き合いなのに挿入は二度しかしたことがない。男同士の挿入は手間がかかるし、後始末も面倒だから、酔いと疲れで気持ちが負けてしまう。僕は本来hウケだが、加齢と共にと死した相手ならタチをやるようになった。

 

僕たちはいつまで一緒にいられるのだろう。いや、ただの事実として、いつまで一緒に「いる」のだろうか。男同士には結婚というオチがない。結婚だって絶対じゃないが、男同士は前提として、どうなるかわからない薄氷の上にいる。僕はそれでいいというより、それがいいのだと思ってきた。

 

数年前から家族の中で男性のことを口に出せるようになった。それまで息子の性愛について語るのはまるでタブーのようにんっていた。妹は平気で彼氏の話をし、卑猥な冗談さえ言うのに、僕には「性がない」みたいな扱いを受けてきた。・・・大学進学して一年後に、実は男性が好きなんだと母に告白した。あの頃はまだまだ子供で、大事なことには親の許可が要るものだと思い込んでいた。

 

だが、僕が知らないうちに母の態度は変わっていた。「今一緒に住んでいる人とかいるの?」と前触れもなく訊かれて、僕は飛び上がりそうに驚いた。同居はしていないけどパートナーはいるよ、と答えた。そして声がうわずりそうになるのを抑え、わずかな間を置いて、年下の男性の、と付け加えた。母は穏やかに頷き、そばにいてくれる人がいてよかった、安心したわ、と言った。

 

文中「オーバーヒート」が出てくる2か所。

 

ハザードがカチカチと鳴る音だけが拡大されたように聞こえていて、僕は深呼吸をしていた。突然気づいて、サイドブレーキを引いた。忘れるところだった。そして外に出て、土埃でくすんだ銀色のボンネットを眺める。湯気が出ていたりしないが、オーバーヒートに違いない。(P67)

 

太陽がすべて――本当にそれだけが真理で、降り注ぐ太陽エネルギーを我が身ひとつに浴びるだけでカネが生じるなら、どこでも生きていけてどこで死んでもいい。だがそれは、論理がオーバーヒートした抽象論なのだ。人は抽象的な「点」じゃない。体がある。肉体が。かさがある。地球上で場所を占めなければならない。(P76)

 

大阪湾でタンカーが流されて関西空港につながる橋に衝突し、空港が陸から切断されたのを知った。それから数か月にわたり関西の物流には混乱が生じた。

数日後、梅田駅で夕方に晴人と待ち合わせて、近くの安い居酒屋に入った。今日のおすすめを書いたホワイトボードでわかさぎの天ぷらが目に留まった。・・・魚が好きなのが僕らの共通点では一番大きいのかもしれない。潰れた内臓や小骨がザラザラと舌に残るのを冷で流し込み、「うまいね」と僕が言うと、晴人はそれをラケットで真正面に打ち返すように「うまいね」と言った。もう一口よく冷えた液体で舌を洗い、僕は少しの間考えていた。そして「今夜泊ってけば? 」と誘った。(了)

 

今回の芥川賞候補作のうち、3作をなんとか読みました。石田麻依の「貝に続く場所にて」と、くどうれいんの「氷柱(つらら)の声」は、掲載されている雑誌が手に入らなくて、読むのを諦めました。(最近、単行本として刊行されたようですが…)

 

読んだ3作から芥川賞の受賞作を予想すると、僕の好みから言えば「彼岸花が咲く島」が最も推したい作品です。