「ふたりのイームズ 建築家チャールズと画家レイ」を観た! | とんとん・にっき

「ふたりのイームズ 建築家チャールズと画家レイ」を観た!


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建築家のエーロ・サーリネンとチャールズ・イームズは親友でした。初期の家具はほとんど二人の共同作業から生まれました。1941年、ニューヨーク近代美術館は「家具の有機的なデザイン」というコンペを行います。結果、イームズとエーロのデザインした椅子とシステム収納家具は見事1等を獲得します。僕は、イームズが家具のデザイナーで、「イームズチェア」をデザインしたということは知っていましたが、その他の活動については「ふたりのイームズ」を観るまで全く知りませんでした。


僕が勤務していた設計事務所のロビーにおかれていたのがイームズチェアでした。正確にはオリジナルではなくて、ハーマンミラーの椅子ですが・・・。20数脚はあったでしょうか。来客との打ち合わせ用です。昭和40年代の初め頃でしたから、その椅子はたしかブルーでしたが、ティーラウンジのようで、設計事務所のロビーとしては斬新な印象でした。


初期の「イームズ・チェア」は、合板成形で、安価で、軽くて、スタッキングできるという特徴を持っていました。この成形技術は、軍事用品に応用されたというから面白い。骨折治療のための添え木をこの合板でデザインしたのでした。太平洋を見下ろす「イームズ・ハウス(ケース・スタディ・ハウス)」は、鉄骨造で、プレハブで、軽くて、オープンなシステムで、気候のいいカリフォルニア・デザインの典型といった感じです。


イームズ夫妻については、デザイン業界ではまさにアメリカン・ドリームを獲得した成功者と言っていいでしょう。中盤にはアメリカという国とイームズ映画の関係が濃密に描かれます。いろんな人がいろんな立場からイームズ夫妻をこれでもかというほどこき下ろす、最後にはチャールズの愛人登場があったりして、けっこう楽しめる映画です。


サーリネンは独立後、わずか11年間の建築家活動の後に、1961年他界します。残された多くの未完のプロジェクトはケビン・ローチの事務所が引き継ぎ、完成させました。


ケビン・ローチは1922年ダブリン生まれ。アイルランド国立大学を卒業後、アメリカ合衆国に移民。イリノイ工科大学に入学し、建築学科の主任教授だったミース・ファン・デル・ローエの下で学ぶも学費不足で中退。その後、チャールズ・イームズの親友だったエーロ・サーリネンの下で働くことになり、イームズ夫妻と交流を持つようになる。(映画のカタログより)


「ふたりのイームズ」を観て、ケビン・ローチが何回かインタビューに答えてコメントしているのは、すぐに分かりました。


大学の先生の案内で研究室の仲間とアメリカ建築の視察旅行に行ったのは1972年でした。思い出すままに僕が観たケビン・ローチの作品を挙げてみます。

オークランドにある「オークランド美術館」1961-68

ニューヨークにある「フォード財団本部」1963-68

ニューヘブンにある「ナイツ・オブ・コロンバス本社」1965-69

ほかに、「ナイツオブコロンバス」のお隣の「ジムナジウム」

ニューヘブンの「リチャード・リー高等学校」等々


ケビン・ローチのコメント

チャールズが何者なのか、われわれは誰もよくわかっていなかった。建築家なのか、デザイナーなのか、それとも映画監督なのか。とにかく、みんなが彼になりたいと願っていた。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:世界中で親しまれているイームズ・チェアの生みの親として知られるチャールズ、レイ・イームズ夫妻の軌跡を追ったドキュメンタリー。時代に翻弄(ほんろう)されながらも家具や建築など多岐にわたって作品を生み出し、20世紀に興隆したミッドセンチュリー・モダンをけん引した彼らを追う。多くの手紙や写真、数々の作品群、そして関係者へのインタビューを通じ、イームズ夫妻の知られざる素顔から目が離せない。

ストーリー:画家志望のレイ・カイザーと建築家チャールズ・イームズは、自分たちの才能を生かすべくイームズ・オフィスを設立。戦争や急激な近代化など時代に振り回されながらも、家具や建築など多くの作品を世に送り出し、当時のデザイン界をリードした。手紙や写真をはじめ、イームズ・オフィスの元スタッフや家族へのインタビューを通じ、イームズ夫妻に迫る。


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「ふたりのイームズ 建築家チャールズと画家レイ」公式サイト