前川国男の弘前の建築! | とんとん・にっき

前川国男の弘前の建築!

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1月16日から18日にかけて、「函館・弘前旅行」に行ってきました。弘前には前川国男の作品が数多く遺されています。建築家前川国男は戦前・戦後を通じて日本の近代建築を牽引した巨匠で、「東京文化会館」や「京都会館」など、数多くの作品を遺しています。明治38年(1905年)に新潟で生まれた前川は、4歳の時に父の転勤で東京へ転居し、東京帝国大学工学部建築学科に入学します。在学中にフランスの建築家、ル・コルビュジエを知り、昭和3年、大学を卒業したその日の夜に、船とシベリア鉄道を乗り継いでパリへと渡り、ル・コルビュジエのアトリエに入ります。2年間という期限付きと、青い眼のお嫁さんはもらわない、という約束で。


前川の母は弘前の出で、パリには母方の叔父に当たる弘前出身の佐藤尚武が、国際連盟の事務局長として赴任していました。その縁で知り合ったのが、弘前出身の木村隆三でした。木村は軍人で、大使館付きの武官としてパリに赴いていました。前川と木村は互いに親交を深め、2年後、共に帰国します。その船旅の中で木村は前川にある建物の設計を依頼します。それが地場産業振興のための施設である「木村産業研究所(現・弘前こぎん研究所)」(1934年)でした。


これが前川国男の最初の建築作品と言われています。帰国後、前川はレイモンド事務所に勤務、夜はコンペに明け暮れていました。「木村産業研究所」は前川がレイモンド事務所へ持っていった仕事です。レイモンドはフィーの半分はお前が取れと言ったが、前川はフィーの半分はいらないから、その代わりにコンペをやりたいから3時で帰ってもいいようにしてくれと言い、コンペに精を出したという。「木村産業研究所」が完成した翌年、前川はレイモンドと衝突し、辞職します。そして前川国男建築設計事務所を設立(1935年)することになるわけです。



僕が観た前川の作品は3件、「弘前市庁舎」、「弘前市民会館」、「弘前市立博物館」です。市庁舎は弘前城の外堀に添ってあり、他の2件は弘前城内にありましたので、雪が積もってはいましたが、歩いてみて回ることが出来ました。同じ弘前城内に「弘前市緑の相談所」も合ったのですが、雪が深くて行けませんでした。残念ながら前川の処女作である「木村産業研究所」も弘前城とは反対側にあり、観ることができませんでした。「プロセス アーキテクチュア」の前川特集の「作品目録」を見てみると、弘前の前川作品は下記の通りです。


前川国男:弘前の建築
(前川国男:近代日本建築の源流「作品目録1935-83」より)
1952年 青森県立弘前中央高等学校・講堂
1958年 弘前市庁舎
       増築(1974年)
1964年 弘前市民会館
1971年 弘前市立病院
       増築(1983年)
1976年 弘前市立博物館
1980年 弘前市緑の相談所
1983年 弘前市斎場


弘前市庁舎

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弘前市民会館
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弘前市立博物館
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とんとん・にっき-mae1 PROCESE Architecture

前川国男:近代日本建築の源流

1984年1月1日発行 第43号

発行所:プロセス アーキテクチュア