府中市美術館で「歌川国芳」展(前期)を観た!その2 | とんとん・にっき

府中市美術館で「歌川国芳」展(前期)を観た!その2






「歌川国芳―奇と笑いの木版画」展、チラシは(上に載せたように)3つ折りとなっていて、それを開くと「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」となります。「Ⅰ 国芳の画業の変遷」と、「Ⅱ 国芳の筆を楽しむ」は「その1」としました。ここでは「Ⅲ もうひとつの真骨頂」を、主として画像を纏めてみました。なんと言っても歌川国芳は、その副題にある通り「奇と笑い」としてよく知られています。昭和40年代に入って、国芳について新しい観点が生まれたという。昭和41年には鈴木重三の「国芳の奇想」、昭和45年には辻惟雄の「『奇想』の系譜」が上梓され、新しいキーワードとして登場しました。岩佐又兵衛や伊藤若冲といった江戸時代の画家とともに、国芳についても「奇想の画家」の一人として、美術史上に位置づけられました。


辻惟雄の「『奇想』の系譜」では、6人のなかの一人として、最後の項に歌川国芳は「幕末怪猫変化」と題して載っています。文政10年頃国芳は当時の「水滸伝ブーム」に便乗して、「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」を出してこれが大当たりして「武者絵の国芳」としての名声はにわかに高まったそうです。以後、天保から弘化、嘉永にかけて、武者絵だけでなく、美人画、役者絵、風景画、戯画から魚類画まで、あらゆる題材にわたって国芳の活躍ぶりがみられます。彼の独自な「奇想」は、洋風表現の研究と相まって、武者絵、風景画、戯画の分野でその本領を発揮してゆく、と、辻惟雄は述べています。


辻惟雄によると国芳の創意は、3枚続きの画面の構図法に革命をもたらします。従来の3枚続きは1枚刷りの組み合わせという意識があって、それぞれの1枚が独立しても鑑賞できるように工夫されており、全体的統一性が希薄でした。それに対して国芳は、3枚続きの画面全体を一個のワイドスクリーンとして意識し、独創的構図をそこに展開します。もっとも特徴的なのは、怪魚や妖怪のクローズアップによる衝撃的な効果をねらった作品です。それがチラシにもなっている「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」や、他に「相馬の古内裏」や「宮本武蔵と巨鯨」などです。


国芳の「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」は、Bunkamuraザ・ミュージアムでの「奇想の王国 だまし絵展」でも、アルチンボルトの「ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)」とともに、「だまし絵」として出されていました。天保の改革がうんだ皮肉な傑作として知られるのが、一見壁の落書きを装った「荷宝蔵壁のむだ書」です。「ステーションギャラリー」でも、「中右コレクション」でも観たはずなのに、これはまったく覚えていませんでした。弾圧を創作のエネルギーに変えてしまう国芳の反骨心と創意、人を喜ばせようとする国芳の精神は素晴らしい。「釘絵」とも呼ばれた、蔵の壁に釘で描いた落書きに見立てた役者絵ですが、ひっかき線のおもしろさを版画に移した、国芳の新鮮なアイデアです。


国芳の画室には猫が我が物顔にのさばっているのが常で、制作の時いつも数匹懐に入れていたりしたほどの愛猫家だったという。彼は動植物を擬人化した戯画が得意でしたが、一番多く登場したのが猫でした。今回の「国芳展」でも数多く出ており、「猫と遊ぶ娘」はその一例です。


Ⅲ もうひとつの真骨頂

























「歌川国芳―奇と笑いの木版画」:府中市美術館ホームページより
江戸時代の最後期、19世紀の江戸の町に登場して、奇抜なアイディアとユーモアで人々を心の底から喜ばせた浮世絵師、歌川国芳(1797年~1861年)。本展覧会では、前期展示・後期展示をあわせ、およそ230点の作品によって、その魅力的な世界を展望します。
15歳の頃に初代歌川豊国の弟子として出発した国芳でしたが、頭角を現したのは30歳代に入った頃でした。『水滸伝』の登場人物を画面からあふれんばかりのダイナミックな構図で描いたシリーズが好評を博し、人気絵師の仲間入りを果たしています。その後、対象を的確に、かつ骨太に描き出す魅力的な描写力や、画面を緻密に美しく構成する力を、どんどん発揮していきます。しかし、国芳の途方もないもう一つの才能を引き出したものは、実は、一見そんな浮世絵師としての輝かしい道を阻むかのように現れた、幕府の「天保の改革」でした。
老中水野忠邦が中心となって進められたこの改革は、財政の立て直しや世情の安定化を図ることが目的でした。質素倹約、綱紀粛正が強く打ち出され、歌舞伎をはじめ、さまざまな娯楽に弾圧が加えられました。遊女の絵や役者の似顔絵が禁止されたことは、長く楽しまれてきた浮世絵の根幹を奪い取られてしまったようなものだと言えるでしょう。
ところが国芳は、規制に触れないテーマを次々と考え、弾圧の時代を生き抜く、いわば新商品を生み出していったのです。古代中世の歴史や物語に登場する人物や怪物の絵、可愛らしい子どもたちの絵、笑いを誘うおかしな絵。それらの絵には斬新な着想と人を喜ばせる精神が惜しみなく注がれています。やがて弾圧の力は弱まっていきましたが、国芳の創造力は、もはやとどまるところを知りませんでした。ときには、解剖学的にも正確な人体の骨格や、あるいは科学図鑑を見るかのような精密な魚の描写を巨大化させ、怪物や妖怪に仕立てるといった、驚くべき作品なども描いています。江戸後期は、科学的な知識やものの見方、迫真的に描くということが、新鮮な驚きをもって人々に迎えられた時代でもありました。国芳は、ただ浮世絵の伝統にとどまらず、さまざまなものから受けた刺激を、超越的な想像力と描写力によって、それまで誰も見たことのない個性的造形世界へと進めていったのです。


「府中市美術館」ホームページ



とんとん・にっき-kuniyoshizu 「歌川国芳―奇と笑いの木版画」

図録

編集・発行:府中市美術館

発行日:平成22年3月20日
主催:府中市美術館、日本経済新聞社
とんとん・にっき-kisou
「奇想の系譜」

著者:辻惟雄
2004年9月10日第1刷発行
2008年1月30日第10刷発行

ちくま学芸文庫

定価:1300円+税







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