府中市美術館で「歌川国芳展」(前期)を観た!その1 | とんとん・にっき

府中市美術館で「歌川国芳展」(前期)を観た!その1






府中市美術館で「歌川国芳展」(前期)を観てきました。副題は「奇と笑いの木版画」とあります。


京王線の下高井戸駅にある啓文堂書店で、電車に乗った時にでも読もうと文庫本を買ったら、カバーがいつものと違っていました。ちょっと派手なので嫌だなと思ってよく見てみると、国芳の「宮本武蔵と巨鯨」が載っていました。なんとそれは歌川国芳展の招待券が当たるプレゼントキャンペーンの包装紙でした。それから京王線に乗ったら、電車のドアの両サイドに「歌川国芳展」のシールが貼ってありました。京王グループは「歌川国芳展」に相当力を入れているようです。


勇敢な武者絵をきっかけに、幕末の浮世絵界で大活躍した絵師、歌川国芳(1791-1861)。国芳は初代歌川豊国(1769-1825)門下にありましたが、北斎に私淑し、勝川派、琳派などに学び、これを糧として自らの作風を確立していきました。武者絵はもちろん、風刺画、美人画、歴史画、風景画と幅広い分野で精力的に活躍する一方、役者絵や風刺画など、浮世絵に対する幕府からの規制が厳しくなるなか、機知に富んだ作品を発表し、庶民の喝采を浴びました。国芳は一門を築きあげ、そこからは芳幾、芳年などの優秀な弟子が育ち、その系脈は鏑木清方、伊東深水と、昭和期まで続きました。(「国芳暁齋なんでもこいッ展だィ!」図録より)


歌川国芳の作品を纏まって観たのは、2004年12月から1月にかけて、東京ステーションギャラリーで開催された「国芳暁齋なんでもこいッ展だィ!」でした。いまその時の図録を見直してみると、国芳については図録の最初の「あいさつ」に、上のように載っていました。「ステーションギャラリー」では、国芳の作品は約60点出されていました。府中市美術館での「歌川国芳展」では前期、後期、合わせて225点もの作品が出されています。今回の「国芳展」の出品作品は、すべてある一人の方の収集品2千数百点にのぼる国芳の作品のなかから選ばれたという。これには驚かされました。浮世絵全体でいえば、僕が知っているだけでも、中右コレクションや平木コレクション、そして、昨年三井で開催された高橋コレクションなどがありますが。


しかし国芳の生涯の仕事とすれば、2千数百点はそのごく一部にしか過ぎないだろう、というようなことが図録の巻頭に書いてあります。近親者によって建てられた国芳の碑には武者絵を描いたことが記されているという。しかし、今回の2千数百点というコレクションでさえも、武者絵だけでなく、美人画や役者絵も多数あり、風景画もあります。そして「奇想」の画家としても知られています。いずれにせよ、国芳の全貌を紹介するということは、果たして可能なのであろうかと、図録では疑問を呈しています。


天保の改革、この施策は財政の再建を目標として、質素倹約はもとより、贅沢な遊興などを抑えるための綱紀粛正が推進されます。芝居や文芸への弾圧は厳しく、浮世絵では役者の似顔絵や遊女の絵が禁止されます。国芳の制作も、それまでとは異なるテーマの作品が多くなります。そんななかで国芳は、単なる役者絵や遊女の絵の代替品以上のアイデアをも生み出していきます。様々な方法で人々を楽しませ。笑わせ、驚かせようとする国芳の傾向は、とどまるところを知りません。


会場へ入るとまず眼に入るのは、浮世絵を売るお店、です。もともと浮世絵は、一部の人々の芸術品ではなく、庶民が必要に応じて手にするもの、今でいうところの「新聞」「雑誌」あるいは「写真」であったわけです。そして浮世絵師は来る日も来る日も絵筆を取って次々に仕事をこなす、その作り手であったわけです。昨年開催された「山水に遊ぶ―江戸絵画の風景250年」で好評を博した府中市美術館、今回の「歌川国芳―奇と笑いの木版画」展、美術館の歴史に残る展覧会ではないでしょうか。多くの方々に観てもらいたいものです。なお、今回の会期は、前期と後期に分かれています。僕は当然、後期も行く予定でいます。


前期:3月20日(土)~4月18日(日)

後期:4月20日(火)~5月9日(日)


今回の展覧会の構成は、以下の通りです。

Ⅰ 国芳画業の変遷

   19歳の頃に初代歌川豊国に入門した国芳

   「水滸伝」シリーズで評判を得る

   景色を描き、美人画を描く

   時事を描き、歴史画を描く

   「忠臣蔵」を描く

Ⅱ 国芳の筆を楽しむ

   国芳の数少ない肉筆画

   「水を呑む大蛇図」

Ⅲ もうひとつの真骨頂

   国芳の真骨頂として、

   風景、奇、笑い、そして猫に注目


ここでは「その1」として「Ⅰ 国芳画業の変遷」、「Ⅱ 国芳の筆を楽しむ」を、そして「その2」として「Ⅲ もうひとつの真骨頂」を、2つに分けてブログに載せることにしました。



Ⅰ 国芳画業の変遷















Ⅱ 国芳の筆を楽しむ






「歌川国芳―奇と笑いの木版画」
江戸時代の最後期、19世紀の江戸の町に登場して、奇抜なアイディアとユーモアで人々を心の底から喜ばせた浮世絵師、歌川国芳(1797年~1861年)。本展覧会では、前期展示・後期展示をあわせ、およそ230点の作品によって、その魅力的な世界を展望します。
15歳の頃に初代歌川豊国の弟子として出発した国芳でしたが、頭角を現したのは30歳代に入った頃でした。『水滸伝』の登場人物を画面からあふれんばかりのダイナミックな構図で描いたシリーズが好評を博し、人気絵師の仲間入りを果たしています。その後、対象を的確に、かつ骨太に描き出す魅力的な描写力や、画面を緻密に美しく構成する力を、どんどん発揮していきます。しかし、国芳の途方もないもう一つの才能を引き出したものは、実は、一見そんな浮世絵師としての輝かしい道を阻むかのように現れた、幕府の「天保の改革」でした。
老中水野忠邦が中心となって進められたこの改革は、財政の立て直しや世情の安定化を図ることが目的でした。質素倹約、綱紀粛正が強く打ち出され、歌舞伎をはじめ、さまざまな娯楽に弾圧が加えられました。遊女の絵や役者の似顔絵が禁止されたことは、長く楽しまれてきた浮世絵の根幹を奪い取られてしまったようなものだと言えるでしょう。
ところが国芳は、規制に触れないテーマを次々と考え、弾圧の時代を生き抜く、いわば新商品を生み出していったのです。古代中世の歴史や物語に登場する人物や怪物の絵、可愛らしい子どもたちの絵、笑いを誘うおかしな絵。それらの絵には斬新な着想と人を喜ばせる精神が惜しみなく注がれています。やがて弾圧の力は弱まっていきましたが、国芳の創造力は、もはやとどまるところを知りませんでした。ときには、解剖学的にも正確な人体の骨格や、あるいは科学図鑑を見るかのような精密な魚の描写を巨大化させ、怪物や妖怪に仕立てるといった、驚くべき作品なども描いています。江戸後期は、科学的な知識やものの見方、迫真的に描くということが、新鮮な驚きをもって人々に迎えられた時代でもありました。国芳は、ただ浮世絵の伝統にとどまらず、さまざまなものから受けた刺激を、超越的な想像力と描写力によって、それまで誰も見たことのない個性的造形世界へと進めていったのです。


「府中市美術館」ホームページ


とんとん・にっき-fu 「歌川国芳―奇と笑いの木版画」展
入場券

















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