東京都庭園美術館で「マッキアイオーリ 光を描いた近代画家たち」展を観た! | とんとん・にっき

東京都庭園美術館で「マッキアイオーリ 光を描いた近代画家たち」展を観た!


東京都庭園美術館で「イタリアの印象派 マッキアイオーリ 光を描いた近代画家たち」展を観てきました。「マッキアイオーリ」と聞いて、僕は、イタリア印象派の画家の名前かと勘違いしてしまいました。「マッキア」とは、イタリア語で斑点を用いた描法のこと。「マッキアイオーリ」とは、「マッキア派の画家たち」のこと。技法上の特徴を揶揄して「マッキア」=「染み・汚れ」「無法者」と、批判的なニュアンスで呼ばれていたそうです。彼らは「カフェ・ミケランジェロ」に集い、旧来の体制に反抗し、新しい政治や芸術について語り合っていたという。この動きはフランス印象派よりも早く、国際的な文脈から見ても独創的であり、近年急速に再評価の気運が高まっているようで、今回の「マッキアイオーリ」展もその一環です。


出品されている作品は、「出品リスト」に63点、1945年頃から1894年頃まで、ほぼ50年間の比較的短い期間です。そこで思い出したのは、府中市美術館で去年開催された「ターナーから印象派へ」展で、年代的には1815年から1926年とやや幅が広いですが、「マッキアイオーリ」とほぼ同年代といえるでしょう。ターナーの「ブリッドポート、ドーセット州」が1815年、ミレイの「グレン・バーナム」が1891年、Ⅶ章「フランスの風景画」として、ボナールの「ル・カネの檸檬」が1924年頃、ピサロの「ボルムのジャン・エカール通り」が1926年、それ以外はほとんど名前の知られていない画家たちでした。強いて言えば、イギリスの風景画がフランスの風景画に影響を及ぼしたということでした。


今回の「マッキオーリ」展は、フィレンツェで起こった旧来の芸術教育に反発し、「マッキオ=斑点」という独自の描法を手に入れた「マッキオーリ=若い画家たち」の活動が、フランスの印象派へと繋がったということになります。建築の分野では、1951年の第1回万国博覧会の「クリスタル・パレス」で区分けしますが、一般的にはやや遅れて運動が起こります。「赤い家=モリス邸」は1860年、アール・ヌーヴォーの「タッセル邸」は1893年、ウィーンの「セセッション館」は1898年です。それにしてもアドリアーノ・チェチョーニの「カフェ・ミケランジェロ」は、「風刺画」のスタイルを使いながら、カフェに集う人たち21人の一人一人を、見事に描き分けています。1866年にカフェ・ミケランジェロは閉鎖されます。



展覧会の構成は、以下の通りです。

第Ⅰ章 カフェ・ミケランジェロのマッキアイオーリ

第Ⅱ章 マッキア(斑点)とリアリズム

第Ⅲ章 光の画家たち

第Ⅳ章 1870年以後のマッキアイオーリ

第Ⅴ章 トスカーナの自然主義者たち


「マッキオ=斑点」という描法、たとえばテレマコ・シニョリーニの「日向の子供たち」、明るい日差しが家の前に向かい合って座る二人の子供に注がれている小さな作品、近くに寄ってみるとその肉太の筆致があまりにも大胆すぎて、何が描かれているのか分からなくなります。がしかし、少し遠く離れて目を細めてみると、子供たちの表情が日差しの中に見事に浮かび上がってきます。と思って、図録の解説を読んだら、「強い夏の陽光のもと、イチジクを盗る少年たちの白いシャツを、白とグレーの色の展のコントラストとして、わずかな筆致でとらえた「わんぱく坊主(イチジク泥棒)」」や、シニョリーニの「日向の子供たち」、大胆なブロックに還元された画面が、抽象画すら想起させるアッバーティの「回廊の内部」などには、その前衛的な試みがよく見てとれる」とありました。


建築をやっていることもあるでしょうが、僕のお気に入りは、ジュゼッペ・アッバーティの「フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ教会の内部」です。「光は、亀裂のある印象的なバジリカ聖堂の石壁に斜めに当たり、希少な14世紀のフレスコ遺跡を影にし、一段高くなった司祭席へと続く15世紀の大理石の階段の白まで、あるいはオリヴェート会修道士の不透明な白い衣服からアーチのカーヴの輝く色調までのように、光が、影の無限の段階を露わにしている。この光景は、ワイシャツのかすかな輝きが古代の地下聖堂前の破壊し清掃をする従者に我々の注意を向けさせるような影に囲まれている」と図録で述べられています。この絵の前で、大理石文様の表現を確かめに、何度も近くに寄ったり、遠くで見たりしました。


この「マッキアイオーリ」展のチラシは、2種類あります。一つは、シルヴェストロ・レーガのふたりの若い女性が日傘を差して歩いている「庭園での散歩」、もう一つは、フランチェスコ・ジョーリの質素な農民の若い女性の後ろ姿を描いた「水運びの女」です。このブログに載せようと思って図録から選んでいたら、なぜかシルヴェストロ・レーガの作品ばかりを選んでいました。「庭園の散歩」のほかに、「乳母を訪ねる」「母親」「彫刻家リナルド・ガルニエロの肖像」「お勉強」「農民の娘」、等々です。これではまずいと、少し入れ替えましたが・・・。


東京都庭園美術館は元は浅香宮邸、つまり皇族の邸宅でした。ホールから2階へ上る階段室が見せ場です。踊り場から向きを変えて2階へ行こうと向きを変えると、あれっと思ったら、それはエジスト・フェローニの「魚釣り」という作品、なんと横幅115cm、縦の高さ290cmの大きな作品でした。逆に横長の作品が一つ、ジュゼッペ・アッパーティの「カステリオンチェッロの眺め」というもので、縦10cm、横86cmの横長の作品です。階段を登り切ると向こうに見えるのはシルヴェストロ・レーガの「母親」という作品が掲げられていました。子供はいすを机代わりに何か描いています。母親のドレスの裾を踏んでいることに気がつきません。母親は静かに毛糸玉を巻きながらその様子を優しく眺めています。


第Ⅰ章 カフェ・ミケランジェロのマッキアイオーリ





第Ⅱ章 マッキア(斑点)とリアリズム





第Ⅲ章 光の画家たち





第Ⅳ章 1870年以後のマッキアイオーリ



第Ⅴ章 トスカーナの自然主義者たち

「イタリアの印象派 マッキアイオーリ 光を描いた近代画家たち」

1850年代のイタリア・トスカーナ地方。国土をひとつの「国家」として統一するために巻き起こった“イタリア統一運動”の機運に誘発された若い芸術家たちが、当時フィレンツェにあった「カフェ・ミケランジェロ」に集い、政治的な問題や新しい芸術などについて熱く語り合っていました。ジョヴァンニ・ファットーリ、テレマコ・シニョリーニ、シルヴェストロ・レーガ・・・旧来の美術教育法に飽きたらず、イタリア語で「マッキア」と呼ばれる斑点を用いた斬新な描法を駆使して、トスカーン場の大地や風俗、同時代の歴史的事件などを活き活きと描いたこの先駆的なスタイルの画家たちを、「マッキアイオーリ(マッキア派の画家たち)」と呼びました。彼らよりやや遅れて登場したフランスの印象派がそうであったように、この画家たちも当初は技法上の特徴を揶揄して「マッキア」=「染み・汚れ」「無礼者」のような批判的なニュアンスで捉えられていましたが、彼らは敢えて旧来の体制に反抗したいという姿勢を明確に打ち出してこれらの挑発に応じ、むしろ「マッキア」の呼称を誇りとしていました。マッキアイオーリのユニークな活動は、フランス印象派に先立つ美術史上重要な位置づけにある試みとして近年急速に再評価の気運が高まり、イタリア本国を中心に相次いで展覧会が開催されています。

本展は、「日本におけるイタリア2009秋」の文化施策を掲げるイタリア本国の全面的な協力を得て、ふぃらんつぇのピッティ宮殿近代美術館、リヴォルノのファットーリ美術館ほかから日本初公開の作品を中心とする60展あまりの油彩作品を選りすぐり、5つの章に分けてその活動の軌跡をあますところなくご紹介します。(「マッキアイオーリ」展チラシより)


「東京都庭園美術館」ホームページ


とんとん・にっき-mac3 「イタリアの印象派 マッキアイオーリ」

図録

編集:谷藤史彦

    平泉千枝(ふくやま美術館)

    牟田行秀(東京都庭園美術館)

    八巻香澄(東京都庭園美術館)

発行:読売新聞社

    美術館連絡協議会






*以下の画像は、1990年に行ったイタリア旅行時に、フィレンツェで、ピッティ宮殿からボーボリ公園へ抜けた時のものです。その時はピッティ宮殿内に美術館があることを知らなかったので、中へは入りませんでした。


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