府中市美術館で「ターナーから印象派へ 光の中の自然」展を観た! | とんとん・にっき

府中市美術館で「ターナーから印象派へ 光の中の自然」展を観た!



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府中市美術館で開催している府中市制施行55周年記念「ターナーから印象派へ 光の中の自然」展を観てきました。この前府中市美術館へ行ったのは去年の4月、「山水に遊ぶ 江戸絵画の風景250年」展の時でした。若冲や蕭白、池大雅や与謝蕪村、円山応挙、等々、一堂に並べた素晴らしい展覧会でした。今回は一転して「ターナーから印象派へ」です。


展覧会の構成は以下の通り。

Ⅰ純粋風景主題と自然

Ⅱ海、川、湖、そして岸辺の風景

Ⅲ旅人

Ⅳ仕事と風景―人、動物、農耕

Ⅴ人のいる風景

Ⅵ建物のある風景―建築物と土地の景観図

Ⅶフランスの風景画


市制施行55周年記念「ターナーから印象派へ 光の中の自然」展は、フランスのバルビゾン派や印象派絵画の先駆けとなったイギリス風景画の巨匠ターナーをはじめ、コンスタブル、ミレイ、ピサロ、ゴーギャンなど、日本初公開作品85点を含む、全部で100点の英国風景画およびフランス風景画が展示されていました。当初僕は、この展覧会があまり話題にもなっていなかったので、「小ぶり」で「地味な」展覧会かと思い、行くのを躊躇していました。しかし「ターナー」と聞くと、やはり行っておいた方がいいかなと思い直し、府中まで足を運んだというわけです。


僕は「西洋近代絵画」でわからない時にまずは必ず開く本に、高階秀爾の「近代絵画史」(上、下)があります。ターナーに関しては、第2章ロマン派の風景画で取り上げられていました。高階は、ロマン主義を「既成の価値の秩序の上に組み立てられた現実の社会に背を向けて、たとえ束の間の幻影にもせよ、社会の約束事に縛られない自由な想像の世界を享受しようという姿勢」とし、「現実逃避」というかたちをとって歴史上に登場したと述べ、「現実逃避」の傾向は、「人々のひしめき合う町の中を逃れて、田園の散策や山の中の湖のほとりの瞑想に魂の歓びを見出す自然観をもたらした」という。


自然に対する「新しい感受性」は、「薄暗いドイツの森の置くや、霧に包まれたイギリスの湖畔からやって来た」と高階はいう。このような自然感情を、イギリスにおいて絵画の世界で決定的に表現したのはターナーであり、ターナーの歴史的重要性は、従来の風景画家たちとは違った眼で自然を眺め、それを表現したところに、ターナーの独自性がある、としています。なんとターナーは、スコットランドやウェールズ地方はもとより、アルプスの渓谷やヴェネツィアの海などにまで写生に出かけ、全部で2万点に近い膨大なスケッチを残したという。


ターナーにとっては、自然とは平和な静けさに満ちたものではなく、人間の存在をはるかに超えた強大な力、それもしばしば悪意に満ちた力のみを見ていました。代表作「難破船」を挙げるまでもなく、ターナーの風景画においては、主役は山や湖ではなく、嵐や吹雪、風雨や雪崩、波浪、洪水など、自然の威力そのものが主役となっています。そして稀有の色彩画家であったターナーは、ほんのわずかの色調の変化で驚くべき多様な効果を、画面上に生み出しました。例えば今回の海と空だけを描いた「赤と青、海の入り日」を観ると、ただ絵の具を垂れ流しただけ(朦朧体?)のように見えますが、気象上の現象と大気や光の状態を見事に描き出しています。ターナーの絵は僅か5点のみですが、それでもその水彩画は一見の価値があります。


なんと今回、ミレイの「グレン・バーナム」という作品が出ていました。僕はなにも知らなくてこの絵の前に行き、「おっと、これはなかなかいいじゃないか!」と思ったら、それがミレイの作品でした。ミレイは「ラファエル前派」の主要メンバーの一人、Bunkamuraで観た「オフィーリア」を思い出します。解説によると、ジョン・ラスキンの妻であったエフィと恋愛事件を起こし、2人は1855年に結婚します。1881年から1890年までミレイ一家は夏と秋をバーナム館で過ごしますが、この荒涼とした風景は、バーナム館の借用期限が切れ、愛する地を離れなければならないという、ミレイの遺憾の念を表しているという。


自然を描いた風景画ではないのですが、ジョ-ジ・クラウセンの「春の朝:ハーヴァーストック・ヒル」に、眼が奪われました。ハーヴァーストック・ヒルは派むすテッドに向かって徐々に上り坂になっていて、前景では喪服を着た女性が子どもを連れて歩いています。左側のベンチでは一人の女性が気だるそうに通りの景色を眺めています。遠方には花売りがいます。右側では道路工事の労働者が路面を掘り起こしています。解説によれば、クラウセンの絵画は社会を批評しているものだといいます。


驚くほどの細密画では、ウイリアム・ヘンリー・ハントの「イワヒバリの巣」や、エドウィン・ランシア「乱射」がありました。「フランスの風景画」では、カミーユ・ピサロの「ルーヴシエンヌの村道」が、ポール・ゴーギャンの「ディエップの港」が、ピエール・ボナールの「ル・カネの棕櫚」が、またカミーユ・ピサロの長男であるリュシアン・ピサロの「ボルムのジャン・エカール通り」を観ることができました。


Ⅰ純粋風景主題と自然





Ⅱ海、川、湖、そして岸辺の風景

Ⅲ旅人



Ⅳ仕事と風景―人、動物、農耕



Ⅴ人のいる風景







Ⅵ建物のある風景―建築物と土地の景観図



Ⅶフランスの風景画






「ターナーから印象派へ 光の中の自然」展:チラシより

「自然への敬愛」

遠く離れた英国と日本は、島国で緑が多く様々な面でよく似た国です。二つの国の人々は、なぜか花や自然を愛する点も共通しています。英国の画家たちは、はてしなく広がるイングランドの大地に光を求めて、アトリエから飛び出し、思うままに自然の美しさを描き出しました。身近な自然の風物を緻密に描く:19世紀後半の自然観察は、大地と自然の営みの不思議さを知り、自然への尊敬が芸術だけでなく科学をも大いに発展させました。この展覧会の美しい風景画が発達した時代は、実は産業に発達と時を同じくして発展したことは興味深い事実です。

「イングランドの光とターナー」

ターナーは、光の錬金術師とか最高の英国水彩画家と呼ばれる英国で最も偉大な画家です。夏目漱石が大変感銘を受けた画家としても知られています。風景に宿る光のドラマチックな表現を彼ほど成功させた画家はいないでしょう。ターナー以降の画家たちもまた、イングランドの大地にあふれる光、水面や木々の表情、空の表現に生命を与えています。つまり単なる精密な風景描写ではなく、そこに水と緑と光が互いに交わすドラマチックな語らい=物語として風景画を確立させてきました。その代表格がターナーというわけです。本展では、ターナーは5点のみの出品ではありますが、世界で珍重されるターナーの水彩画を英国風景画の流れのなかでご覧いただける絶好の機会となっています。

「フランス印象派の曙光」

こうした生命館あふれる英国風景画の光の表現が、やがてフランスに到来する(1870年代からの)フランス印象派への諸侯となっていったことは、あまり知られていませんでした。この様子を出品作品100点中日本初公開85点の名品でご覧いただけます。ゴッホと並ぶ後期印象派のゴーギャンも若い自分には「ディエップの港」にみるように実際の海の風景の中に流れ、ただよう明るい空気と輝きを必死につかまえようとしていることがわかります。


とんとん・にっき-tur16 「ターナーから印象派へ」展 

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