川上未映子の「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」を読んだ! | とんとん・にっき

川上未映子の「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」を読んだ!

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川上未映子の「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」を読みました。川上未映子らしく、人を食ったタイトルです。初出は「未映子の純粋悲性批判」、2003年8月29日から2006年8月29日までの、数え間違いがなければ、141の「短文」を単行本(2006年12月:ヒヨコ舎刊)に纏めたものを、文庫本にして、2009年11月13日に第1刷発行されてものです。「純粋悲性批判」とは、川上未映子のブログで、今でも続いています。本の帯には「怒濤の大阪弁で綴る、芥川賞作家デビュー随筆集」とあります。


当然ご存じのように、川上未映子は2作目の「乳と卵」で第138回芥川賞を受賞しました。最新作の長編「ヘヴン」は、いわゆる「いじめ」を描いた話題作です。デビュー作の「わたくし率イン歯―、または世界」は、評論家の渡部直巳の推薦で「早稲田文学0」に掲載された川上未映子の初めての小説、つまり第1作目で、これが第137回芥川賞候補作になり、2007年9月号の「文芸春秋」にその「選評」が出ていました。いま、調べてみると「早稲田文学0」は、2007年5月30日に発売されました。ここで言いたいことは、その10ヶ月前までの川上未映子の生活を書き綴った「文章」が載せてある、ということです。


その頃の川上未映子は、大坂から東京へ出てきて、明日をも知れず暮らしていた頃のことです。その頃は、どうも僕が住んでる街に住んでいたようです。シンガー・ソング・ラーターとして録音に次ぐ録音の、先の見えない日々を送っています。例えば・・・


「私はゴッホにゆうたりたい」は僅か4ページ弱ですが、秀逸です!なにしろ全編これ大阪弁です。「今はな、あんたの絵をな、観にな、世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで展覧会してな、みんながええゆうてな、ほんでな・・・」と延々書いて、また延々と書いて、そして最後に「でも今はみんなあんたの絵をすきやよ。私はどうにかして、これを、あんたにな、めっちゃ笑ってな、ゆうたりたいねん」と終わります。ゴッホにまるごと感情移入していて、泣けます。感情移入といえば、「サボコを救え!」、「サボコは私のかわいいコ」、「たかがサボテン、けれども私のサボコは」、「サボテン、手首は恐怖でした」、「さよならサボコ」には参りました。ここまでサボテンの状態に一喜一憂、サボテンを愛することができるのかと。これも泣けます。


泣けるといえば、川上未映子の母親思いは、素晴らしい。この中で何度か出てきますが、「すべてが過ぎ去る」では、「私だけ好きなことをして生きていてよいのだろうか」と述べてから、「お母さんは20歳で姉を産んでそこから私と弟を年子で産んで、そこから今まで働きづめです」、「最近更年期障害でおかんはがりがりに痩せてしまっていて、それを観ると胸が潰れそうになる。私は何をやってるんだろう。私が朝から昼間でこうやって本を読んだり歌をつくったりキーをかちゃかちゃしている間も、お母さんはイズミヤの冷蔵庫で働いているのに」と続けます。「この一行を書けたら、なんていうのは私の満足の問題でお母さんは全然関係あらへんやないか。人の人生が一行でどないかなるとおもっているのはなんやの。何を思い上がってんの。・・・お母さんが救われるってなんやろう。報われるってなんやろう。お母さんのための一行ってなんやねやろう」と自問します。これも泣けます。


もちろん、「表現」についても書いています。「表現というものは実はほんとうは滑稽で恥ずかしいものだ。表現者というのは大きな声を出したり、反抗してみたり、ここに居ますと叫ばなければ、そこに黙って座っていられないどうしようもない種類の人間であって、いわば一番判りやすく欠落した人間であるともいえる。ただ居るだけでは生きていけない鬱陶しい人種なのだ。だからほんとの命懸けで、なんとか生きるために『美しさ』を作り出そうとする」と述べています。


もちろん、駄文もたくさんあります。女同士のエロ話は傑作、「性の感受地帯、破竹のあはん」も・・・



「純粋悲性批判」


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