世田谷美術館で「メキシコ20世紀絵画展」を観た! | とんとん・にっき

世田谷美術館で「メキシコ20世紀絵画展」を観た!

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世田谷美術館で開催されている「メキシコ20世紀絵画展」を観てきました。副題には「日本メキシコ交流400年記念」とあります。まずは苦言ですが、展示セレクション(章)がまったくもってメチャメチャで、会場の展示と展示リストがバラバラで、なおかつ、図録もバラバラであちこち飛んでいます。展示リストは作者名(画家)の順ですが、会場の展示はその順番ではありません。そうかといって年代順でも、テーマごとでもありません。観る方の立場に立って、分かり易く展示して欲しいものです。


目玉はなんと言ってもフリーダ・カーロでしょう。ただし1点だけ、「メダリオンをつけた自画像」です。艶はないが文様が浮き出ていて、3粒の涙が顔を伝わって流れています。トレードマークの繋がった太い眉毛は父方祖母の隔世遺伝だそうです。6歳の時に小児麻痺にかかり、18歳の時に交通事故に巻き込まれ、病床で初めて絵筆を握ったという。フリーだの才能は21歳年上の夫だったデエゴ・リベラの支持によって花咲いたという。フリーダは2度の結婚でどちらの場合も花嫁衣装を着ていないので、絵画の中でその願望を実らせたのでは、ともいう。あるいは、きれいに着飾った死に装束にも見えます。


2003年に渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「フリーダ・カーロとその時代 -メキシコの女性シュルレアリストたち-」が開催されました。もちろん、観に行きました。同じ時期に映画「フリーダ」も公開になりました。もちろん、観に行きました。ブログを始める前でしたが。肖像画ではもう一つ、マリア・イスキエルドの「マリア・アスンソロの肖像」がありました。女性の着ている赤いブラウスの模様が丁寧に描かれていて素晴らしい。国立美術学校で当時校長だったリベラに才能を認められたという。「マリア・アスンソロの肖像」は、体調の悪い時期にも依頼仕事をこなすため写真から肖像画を描くという、イスエルコドの手法で描かれているという。


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僕がもっとも注目したのは、サトゥルニノ・エランという画家です。ゴーギャンの再来だとも評された画家です。エランの作品はたくさんありました。「バナナ売り」と「サン・ミゲル信者会の信者」は油彩の小さな作品、「三つの世代」と「サン・ルイの男」は素描ですがこなれた作品です。しかし「収穫」が素晴らしい作品です。陽光の下で激しい肉体労働に従事する農民と、日陰でたたずむ子供を抱いた母親の姿を対峙させて描いています。メキシコ的な聖母の寓意でもあります。残念ながらエランは31歳の若さで亡くなります。


メキシコと言えば、「壁画運動」です。ホセ・クレメンテ・オスコロ、ディエゴ・リベラ、そしてダビッド・アルファロ・シケイロスという巨匠たちです。今回は「壁画作品」は観ることはできませんが、新日曜美術館で観た「壁画」はいかにもメキシコらしく、街に溶け込んだ素晴らしいものばかりでした。ここではオスコロの「死者」と「十字架を自らの手で壊すキリスト」、リベラのシュールを揶揄したと言われている「夜の風景」と「死者の日」、そしてシケイロスの科学の進歩を賛美したカラフルな作品「進歩の寓意」と「クアテモックへの賛歌」を挙げておきます。


その他、不気味なものとしてホセ・チャベス・モラドの「ツォンパントリ〈骸骨の城〉」、マヌエル・ロドリゲス・ロサノの「ホロコースト」を挙げておきます。ガブリエル・フェルナンデス・レデスマの「都会の弁士」は、八の字髭を生やしたいかにもメキシコの紳士らしい表情をしています。これは木版の上に油彩で描いたようです。ルフィーノ・タマヨの「自画像」、幻想的で色彩が鮮やかです。色彩のことで言えば、ここでは挙げていませんが、ホアキン・クラウセルの「湧水の源流(青い森林)」のブルーは、デリケートで見事なものでした。


そうそう最後に、日本人画家の名前が2人、北川民次と村田簣史雄とありました。それぞれ2作品ずつ出展されていました。2人はまったく対照的な作品です。北川は「花」という木版の作品と、「ザクロを持つ女」というリトグラフの作品です。「ザクロを持つ女」はほとんどピカソばりの作品で、顔を横にした女の髪が風にたなびいています。村田はこちらはまったくの抽象画です。作品名も共に「無題(抽象)」です。滲んだ色彩だけの表現で、このような抽象画がメキシコで受け入れられたという意味あいについてはよくわかりません。


同時開催で、名古屋市立美術館所蔵の「ホセ・グァダルーペ・ポサダ(1852-1913)展」も、版画ですが47点展示してありました。事件報道の挿絵のようなもの、あるいは風刺の効いたユーモアの効いたイメージ画です。日本で言えば、江戸から明治に活躍した「芳年、芳機の錦絵新聞」のような役割のようです。「亜鉛板エッチング」と「活字合金板エンクレーヴィング」という手法で描かれていました。先日、西洋美術館で版画展を観たばかりで、僕にはなかなか興味深いものでした。



第1章 文明の受容










第2章 文化の発信








第3章 進歩














美術によって自分たちを再確認し、その先を目指した国

(世田谷美術館ホームページより)

メキシコの近代化は、長く続いた植民地支配からの独立の後、国際社会のなかで自らのアイデンティティを再確認する過程だったといえるでしょう。メキシコの美術もまた、その社会の変動と密接に結びついていました。メキシコ革命がおこり、民族の歴史と社会状況への意識が高まるなかで発生した壁画運動は、人々に向けて強いメッセージを発信するとともに、独自の絵画表現を創造する行為でもありました。また民族性を踏まえつつ、より普遍的なテーマを描き続けることで、自己の表現を深めていった画家たちも現れていきます。この民族性と国際性の二つの潮流を背景に持ったメキシコの絵画は、同時代の多くの芸術家に刺激を与えました。
今、私たちにとってこれらの作品が魅力的に感じられるのは、メキシコという国が持つ複雑な歴史が、一枚の絵のなかに込められているからかもしれません。そして、その絵を見る多くの人々が、歴史と向きあう画家の精神と自分自身の姿とを照らし合わせることになるでしょう。
本展覧会ではメキシコ国内各地の美術館、個人が所蔵している約70点の作品で、「近代化への道のり」をテーマに、メキシコの近代絵画の展開をご紹介いたします。
また併せて、名古屋市美術館が所蔵するホセ・グァダルーペ・ポサダの作品を展示いたします。



「世田谷美術館」公式サイト


Bunkamuraザ・ミュージアム 「フリーダ・カーロとその時代 メキシコの女性シュルレアリストたち」


映画「フリーダ」公式ホームページ


とんとん・にっき-me12 「メキシコ20世紀絵画展」

図録

2009年7月4日-8月30日

世田谷美術館