「トーレ・ヴェラスカ」はミラノのシンボル! | とんとん・にっき

「トーレ・ヴェラスカ」はミラノのシンボル!


ミラノといえば、まず思い起こされるのは、ゴシックの名建築「ミラノ大聖堂」とか、ブランドもののお店が並ぶ「ヴィットリオ・エマヌエルⅡ世のガレリア」とか、ガレリアを通り抜けた先にある「スカラ座」とか、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のある「サンタ・マリア・デルレ・グラーチェ聖堂」とか、もちろん「スフォルツァ城」もあります。


しかし、「近代建築」で突出した2つの建築があります。一つは「これぞまさしく近代建築」と言えるジオ・ポンティの設計、ピエール・ルイジ・ネルヴィが構造を担当した「ピレリ・ビル」(1955-1958年)です。ジオ・ポンティは超軽量、小指で持ち上げられる椅子、「スーパーレッジェーラ」のデザインでもよく知られています。そしてもう一つが一瞬「なんだ、あれは!」と思ってしまうBBPRの設計による「トーレ・ヴェラスカ」(1956-1958年)です。BBPRは4人の建築家(Gianluigi Banfi,Lodovico di barbiano,Enrico Peressutti,Ernesto N Rogers)で構成されるグループ名です。


この2つの建築は、ほぼ同じ時期に完成した、共にミラノのシンボルでもある建築です。しかし、同じ「近代建築」なのですが、向いている方向はまったく反対方向です。「ピレリ・ビル」は単純さと直截さを持ち、徹底して工業化されたカーテン・ウォールによってつくられています。まさに「近代建築」のお手本です。一方、「トーレ・ヴェラスカ」は高さ106メートルの高層建築でありながら勾配屋根を持ち、中世都市の塔を思い起こさせ、ミラノの街並みのなかに伝統的な形態を持ち込んだ先駆的な試みの建築です。


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「トーレ・ヴェラスカ」を思い出したのは、先日の朝日新聞日曜版「奇想遺産」という記事で、建築家の隈研吾が「トーレ・ヴェラスカ」を取り上げていたからです。隈研吾は、その不思議なシルエットは、ミラノ周辺のロンバルディア地方で見かける中世のお城の塔と同じ形だと言い、設計したBBPRという名の建築家グループは、反アメリカの確信犯だったとも述べています。同じ年に建ったニューヨークにあるミース・ファン・デル・ローエが設計した「シーグラム・ビル」と比較して、一方は超単純な形態でツルツルピカピカ、他方、「トーレ・ヴェラスカ」は、古ぼけた中世の再現を目指し、外壁の仕上げや窓はゴツゴツしていて、まったく対照的だと述べています。


僕はミラノには2度行きました。1度目は、1988年の建築関係の視察旅行でした。2度目は、2004年の2月から3月にかけての格安ツアーで、この時はミラノ大聖堂の屋上から見たトーレ・ヴェラスカは霧がかかってよく見えませんでした。ピレリ・ビルは、かつての新鮮さとは異なり今ではやはり古ぼけた建築に見えます。2002年に、小形プロペラ機が外壁に突っ込みましたが、今ではすっかり修復されたようです。トーレ・ヴェラスカは決して美しくはなく、その醜悪さ加減を巡って今でも議論が絶えません。しかし、今見ると、ミラノの街によくマッチした建築にも見えるから不思議です。


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