磯崎新の「群馬県立近代美術館」を観る! | とんとん・にっき

磯崎新の「群馬県立近代美術館」を観る!

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いま、群馬県立近代美術館で開催された「ルイス・カーン―建築の世界―」展の日付を図録で調べてみたら、1992年9月26日から11月3日まででしたので、僕が2度目に群馬県立近代美術館へ行ったのは今から16年前のことでした。最初に行ったのは、開館してすぐでしたから1974年、なんの展覧会だったか記憶にありませんが、なにしろ当時は磯崎新の美術館を観るということで行ったわけです。今回、アントニン・レーモンドの自邸の写しである「高崎哲学堂(旧井上邸)」で開催されていた「高崎市美術館彫刻展 彫刻をめぐる空間 3次元」を観に行き、足をのばして「幻影のカンヴァス 山口薫」展が開催されていた「群馬県立近代美術館」を訪れてみました。


「群馬県立近代美術館」は、磯崎新の設計により1974年に開館しました。これまでに1994年、1997年に、シアター棟の増築、ミュージアムショップの新設、レストランの移設新設、そして現代美術棟の増築など、何度か増改築をおこなってきました。今回、2006年12月から1年以上に渡って本館部分の大規模な改修工事を行い、「群馬県立近代美術館」は新しく生まれ変わりました。2年4ヶ月の休館を経て、リニューアルを記念して開催した「磯崎新 七つの美術空間」展では、磯崎新が1960年以降に手がけた7つの美術館のオリジナル図面、ドローイング、模型、写真などを展示されました。残念ながら僕は行くことができませんでした。


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磯崎新の出世作であるこの美術館、実は1970年頃に美術館の建築家選定委員会ができ、大高正人、槇文彦、磯崎新の名前が候補としてあがったそうです。磯崎が美術館を担当することになったのは、地元の井上房一郎が推薦したそうです。大高正人は磯崎に続いて同じ「群馬の森公園」の奥に「群馬県立歴史博物館」を設計しました。完成は1979年、アプローチ側に磯崎の設計した美術館がつくられてしまったので、設計は相当苦労したようです。当初槇文彦が設計を予定していた「文学館」は予算化できず、その代わりに槇文彦に「京都近代美術館」を設計することになりました。その当時は3人とも美術館設計の経験がなかったのですが、画家の斎藤義重が井上に磯崎を推薦してあったことが決め手になったと、磯崎は語っています。


「群馬の森公園」はかつては火薬工場で、磯崎が最初にこの敷地を訪れたときには、工場の廃墟が草むらの間に横たわっていたという。今ある樹木は、戦後放置されている間に自生したものです。国有地が県に貸与されるときに、廃墟を片付けて整備するという条件が付いていたので、今のような芝生になりました。そこで磯崎は、立方体の枠が芝生に転がっているというイメージを思い浮かべたそうです。結果としてこの美術館は、12メートルグリットの立方体フレームが基準になって構成されています。従って、外壁のアルミパネルも1.2mのグリットになっています。アプローチ側から最初に見える部分は、基本グリットから22.5度振って、水盤の上に配置されています。そこには宮脇愛子の「うつろひ」が見えます。


磯崎新も御歳77歳だという。先日伊香保の「ハラミュージアムアーク」で、盛大な「77歳を祝う会」が行われたそうです。思えば僕が若き頃、磯崎の建築を観るために大分詣でをして、岩田学園、大分医師会館、大分県立図書館、福岡銀行大分支店、そしてN邸などを見学して廻ったことがあります。銀行も住宅も、建物の中まで入れていただき、じっくりと見せていただきました。今では考えられない、良い時代でした。


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「幻想のカンヴァス 山口薫」展の他に、常設展を駆け足で観て廻りました。モネの「睡蓮」や、ルノアールの「読書するふたり」が目につきました。また山口薫の作品は地元の画家であることもあり、相当数所有しているようです。












「群馬県立近代美術館」ホームページ