ウルリッヒ・ミューエの「わが教え子、ヒトラー」を観た! | とんとん・にっき

ウルリッヒ・ミューエの「わが教え子、ヒトラー」を観た!

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「私が観たのは、狂気の独裁者ではない、ひとりの孤独な人間だった――」


「善き人のためのソナタ」で絶賛を博したウルリッヒ・ミューエ主演の「わが教え子、ヒトラー」を、渋谷Bunkamuraの「ル・シネマ」で観てきました。


ヒトラーを描いた映画としては、最近では「ヒトラー~最後の12日間~」や「ヒトラーの贋札」がありますが、残念ながら僕はまだ観ていません。僕が始めてヒトラーを描いた作品を観たのは、「チャップリンの独裁者」だったように思います。喜劇王チャップリンのことですから、ヒトラーとナチズムを風刺して、笑いの渦に巻き込みました。いつ頃観たのか調べてみたら、1940年にアメリカで上映された映画でしたが、その20年後、日本で上映されたのが1960年だというから、驚きました。どういう理由で20年もの間、上映できなかったのか、興味のあるところです。


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「わが教え子、ヒトラー」は、2007年アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「善き人のためのソナタ」のウルリッヒ・ミューエが主演だというので、是非観たいと思っていた作品です。そのウルリッヒ・ミューエは、アカデミー賞授賞式に出席した直後に、兵役時代の胃潰瘍が悪化し、胃癌の手術を受けて療養していたようですが、癌であることを公表した翌日に、残念ながら54歳で急逝したそうです。彼は東ドイツ出身で、「善き人のためのソナタ」の関連本で、旧東ドイツ時代に、彼の元妻がシュタージの協力者で、元妻に監視られていたと、映画さながら告白したことも話題になりました。


さて、今回の「わが教え子、ヒトラー」、ユダヤ人大虐殺の張本人であるヒトラーに、ユダヤ人が演説を教えるというもの、独裁者に教える者と教えられる者、しかも名前が同じ「アドルフ」というから、これはもう最初から喜劇の様相を呈しています。ユダヤ人の視点から描いた「わが教え子、ヒトラー」、ダニー・レヴィ監督もユダヤ人だというから面白い。暗くシリアスになりがちな「ヒトラーもの」を、皮肉なコメディタッチで描いたという異色作です。ヒトラー焼くのヘルゲ・シュナイダーは、ドイツの有名なコメディアンだというから、なおのこと面白い。


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1944年12月25日、ナチス・ドイツは連合軍との戦いでは敗戦濃厚、国家存亡の危機に宣伝大臣ゲッベルスは、ある「プロパガンダ」を思いつきます。それは1945年1月1日にヒトラーの演説をベルリンに設定し、100万人の市民を前にヒトラーに演説をさせて、それを何台ものカメラで撮影し、それをドイツ国民の戦意高揚に使おうというもの。しかし、肝心のヒトラー(ヘルゲ・シュナイダー)は病気とうつですっかりやる気をなくし、自信喪失、公の場を避けて引きこもる始末でした。


そんな中、ヒトラーをわずか5日間で再生するための教師として、ユダヤ人の元演劇教授アドルフ・グリュンバウム(ウルリッヒ・ミューエ)は強制収容所から総統官邸に呼び寄せられます。グリュンバウムはゲッベルすからヒトラーに力強いスピーチを指導するよう命じられます。ユダヤ人の彼は、この皮肉な状況に、収容所に残されている家族と一緒に暮らせることを条件に、この仕事を引き受けます。そして、独裁者ヒトラーに対してユダヤ人グリュンバウムの「特訓」が始まります。


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ヒトラーとグリュンバウムが、同じ部屋で2人きりになります。時にはヒトラーにパンチをくわせるグリュンバウムですが、2人の様子はマジックミラーの向こうですべて監視されています。何度もヒトラー殺害のチャンスがあるにもかかわらず、グリュンバウムは実行にはなかなか移せません。側近の一人からグリュンバウムが暗殺をしようとしていると吹き込まれたヒトラー、心配になって夜中にグリュンバウムの家に一人で訪ねます。グリュンバウムにその気がないことを確かめると、夫婦の間に割り込み寝てしまいます。奥さんがヒトラーの顔に枕を押しつけ殺そうとしますが、ヒトラーは寝ぼけ眼で「パパ、ありがとう」とつぶやいたりします。


次第にヒトラーとグリュンバウムの間には、お互いに信頼し合い、友情にも似た感情をいだきあうようになります。演技指導者がヒトラーの心のカウンセラーに変わっていきます。これはもう絶対にあり得ない奇妙な共犯関係が出来上がりつつあります。いよいよベルリンの演説会場へヒトラーは向かいます。しかしベルリンはもう瓦礫の山、演説会場に向かうヒトラーの車の通り道は、いわば張りぼての書き割り、映画の大がかりなセットです。動員された大量のベルリン市民、その前でヒトラーは演説を始めます。その演説台の下には、グリュンバウムが待機しています。


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「わが教え子、ヒトラー」、ナチ党の党首ヒトラーに随行し、発声やジェスチャーの方法を教えたドイツ人の実話にヒントを得ながらも、多くのエピソードにフィクションや喜劇的要素を盛り込んだ作品です。ユダヤ人のダニー・レビ監督は「ヒトラーは否定的な存在だが、今でも大きなモニュメント。笑いの対象にすることで、引きずり下ろす効果がある」と語っています。なぜ監督が喜劇にこだわったのか?「重大で深刻なテーマは喜劇でこそ真実に迫ることができる。笑いの中に潜在的な洞察力が眠っている」という。


記事を書き終わって、急に思い出しました。東秀紀氏の「ヒトラーの建築家」という著作があったことを。「わが教え子、ヒトラー」にも出てきたアルベルト・シュペーアの生涯を描いたものでした。シューペーアはニュルンベルグ軍事裁判で「もしヒトラーに友人がいたとすれば、私がその数少ない一人であったろう。私の青春の歓びと栄光も、それから後の恐怖と罪も、ともに彼のおかげである」と証言したという。



「わが教え子、ヒトラー」公式サイト



過去の関連記事:

ヒトラーが描いたスケッチ



hi1 「ヒトラーの建築家」
著者:東秀紀
発行:2000年9月25日第一刷
発行所:日本放送出版協会
定価:本体1700円+税