宮下規久朗の「刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ」を読む! | とんとん・にっき

宮下規久朗の「刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ」を読む!

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「異彩の美術史家がタブーの美に挑む!」とあれば、誰しも読んでみたくなるというもの。扱っているテーマが正当な美術史家がまともに取り上げることがなかった「刺青」と「ヌード」ですから、ますます興味が湧いてきます。西洋のヌードの原点、と言えるかどうかは別にして、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を観たくて、はるばるウフィツィ美術館にまで行ってきました。クレーディの「ヴィーナス」には圧倒されました。なにしろ日本人とはプロポーションが違います。そんな意味では、先日、西洋美術館で開催された「ウルビーノのヴィーナス――古代からルネサンス、美の女神の系譜」は、いわゆる元祖「西洋のヌード」を、詳細に日本で観ることのできた素晴らしい展覧会でした。


宮下規久朗の「刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ」を読みました。著者の宮下規久朗、略歴によると、1963年名古屋市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修了。兵庫県立近代美術館、東京都現代美術館学芸員を経て、神戸大学大学院人文学研究科准教授。専攻はイタリアを中心とする西洋美術史、日本近代美術史、とあります。そういえば、先日観た「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密」展の講演会で「知られざる静物画の魅力」として宮下規久朗の名を目にしました。実は宮下規久朗をまったく知らないで、まず「序章」を読み始めました。これは井上章一が書いているのではないかと勘違いするほど、テーマの選定や論のたて方が似ているのには驚きました。上にあげた経歴は後で知ったのですが、関西圏の研究者仲間のようで、この本でも井上章一の文章が何カ所か取り上げられていました。なにしろ井上は建築畑の出身でありながら、「井上章一と関西性欲研究会」という名で「性の用語集」という本を出しているくらいの人ですから。


それはさておき、この本の内容については、宮下が序章で要領よく纏めていますので、以下に引き写しておきます。「第一章では西洋のヌード概念と日本の伝統芸術における裸体表現とを比較し、両者の差異と特質をあきらかにする。第二章では、幕末から明治にかけて起こった裸体芸術の傑作である『生人形』や、西洋の影響による裸体表現の試みを取り上げ、第三章では、明治政府による裸体習俗や裸体芸術への規制と、その後裸体芸術が歩んだ茨の道について考察する。第四章では日本近代における裸体感の変化と、ヌード制作に立ちはだかった障害とその克服について、現代へ射程を広げつつ検討してみたい。そして第五章では、刺青を日本の裸体芸術として位置づけてヌードと比較し、日本における裸体芸術の意味について考えたい」。


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宮下が「裸体芸術の傑作」としている、精巧に造られ着色された等身大の「生人形」については、僕はこの本で始めて知りました。西洋の手法とはまったく関係なく、日本独自の職人芸で造られたものだという。熊本市現代美術館が調査を進めていることが記されています。ヌードの厄介な問題として、「裸体画は堂々と居間に掛けられるようなものでないため、絵が売れないという問題があった。資産家は“裸になる”、つまり財産を失うというので邸宅に裸体画を飾るのを忌避する風潮もあったらしい」と、宮下はいう。ヌード芸術の淵源をたどると、黒田清輝に行き着くという。明治28年(1895)、黒田清輝の「朝妝(ちょうしょう)」という裸体画を第4回内国勧業博覧会に出して、物議を醸したという。その後黒田の傑作「智感情」を載せた雑誌が発売禁止になり、その後は着衣の人物しか描かなくなったそうです。「智感情」は日本人の顔に西洋人の身体という継ぎはぎでした。大正期以降、梅原龍三郎や萬鉄五郎によるヌードの追求がなされましたが、リアルに描けば描くほど、日本人のモデルが頭でっかちで胴長短足で、とても飾るような絵になりません。


小出楢重の「裸女結髪」や岡田三郎助の「あやめの女」は、ヌードであっても後ろ姿の傑作でした。中村彝(つね)の「少女」は僕の好きな絵で、考えてみればヌードでしたが、「画家との親密な関係をうかがわせるような意志的な眼差しを向けているが、これは例外的で、恋人である相馬俊子を描いたものであり、ヌードというより恋人の肖像画といってよいものであった」と宮下はいう。同じように荒木経惟の写真デビュー作の「センチメンタルな旅」も取り上げ、「春画のような明るさと湿り気を感じさせる」と述べています。篠山紀信の撮った樋口可南子や宮沢りえの写真集は、当時本屋で買うのに僕はやや恥ずかしい思いをしたことを覚えています。いずれにせよ、「西洋の芸術概念は、ヌードを特権的な主題として祭り上げるのに成功したが、まったく異なる文化と伝統をもつ日本に置いては、それは借り物のような不自然なものにとどまったのである」。まさに日本が外国文化を摂取する場合の、よく見られる風景でもあります。


「刺青」については、宮下自らも刺青を入れることを真剣に考えた、とあります。小泉元首相の祖父は、全身見事な刺青を入れていて「いれずみ大臣」と呼ばれていたという。刺青は「入れた人間がその刺青によって人格を変え、刺青の文様と一体化するものであり、他人の凝視を促すものである」。そして刺青は「欧米人の視線を気にして禁止され、欧米人の指示により解禁されたというのである」、というところが面白い。映画では「赤目四十八瀧心中未遂」で見せた寺島しのぶの背中に彫られた「迦陵頻伽」の刺青は見事でした。「刺青」と「ヌード」、「最大の相違点は、ヌードは裸体をモチーフにした絵画や彫刻であるのに対し、刺青は裸体そのものが作品になっていることである」としています。「裸体を描くか、裸体に描くかというちがいである」といえば、分かり易い。


「北斎からアラーキーまで、豊富な図版で辿り直裸体芸術史」、宮下は、デビュー論文では幕末・明治の裸体画を掘り下げていたという。いわゆる「持ちネタ」の一つで、ことあるごとに講義や講演で話してきたという。それにしても拾い上げる作品や文献は幅広く、宮下の博覧強記には驚かされます。僕は「刺青」と「ヌード」は本来別のものと思っています。従って、別の本としてそれぞれに纏めた方がよかったのではないかと思います。


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