日本橋三越本店で「今、甦るローマ開催・日本美術展」を観た!
1930年(昭和5年)、ローマ市中心部の大美術館パラッツオ・デルラ・エスポジツィオーネにおいて、イタリア政府主催による「日本美術展覧会(通称ローマ展)」が開催されました。当時の日本画壇を代表する日本画家たち総勢80名が制作した大正末期から昭和初期の日本画168件が出品され、会場の内装には、日本から同行した宮大工らの手により、大小さまざまな床の間を備えた日本的建築空間が再現されました。この展覧会を全面的に支援したのが、大倉財閥の総師・大倉喜七郎男爵であり、作品の画料をはじめとする膨大な経費をすべて負担しました。そのため、ローマ展に出陳された主要作品の多くが、現在は大倉集古館に所蔵されています。(展覧会チラシより)
知人からいただいた招待券があったので、「今、甦るローマ開催・日本美術展」を観に、日本橋三越本店へ行ってきました。この前「印象派とエコールドボザール展」だったかの展覧会、行ったけれども1日前に終わってい絵ういうことが度々ありましたが、デパートの展覧会は会期が短いので(とくに僕はこうしたポカが多いので自戒を込めて)注意が必要です。
イタリア政府主催による「日本美術展覧会」、この話は知りませんでした。イタリア国王やムソリーニ首相も会場を訪れたという。大倉喜七郎男爵が当時の金額で100万円使ったそうで、現在の金額に直すと100億円近いと言われています。出品作家も官展・院展の両作家が一堂に会することは画期的なことだったという。院展は26同人、官展は東西の代表作家54人だったという凄いことです。なにしろ横山大観は張り切っていたそうで、六曲一双屏風、八幅対、四福対など全部で15件26点も出品したそうです。川合玉堂も自分の部屋を作るほど積極的だったという。出展する作家は大作、しかも代表作をこの展覧会に出したという。
今回の「今、甦るローマ開催・日本美術展」は、こんなにも傑作の名品があるのかと驚くほど、数にして40数点ですが、狭い会場に目一杯展示してありました。しかも、さすがは三越です、集客力が凄い。わりと年輩の方々が多く、従って人混みをかき分けて作品を観るのがたいへんでした。それにしても横山大観の作品がこれでもかというほど続々展示してあり、たぶん10数点はありました。横山大観の「夜桜」、前田青邨の「洞窟の頼朝」、この2作品は今回の目玉で、ポスターにも載っていましたが、さすがに迫力のある素晴らしい傑作でした。
なにしろ日本画のビッグネームが次から次へと観られました。これらが「ローマ展」のために、一気に作成されたというからなお凄い。鏑木清方の「七夕」などももちろん素晴らしかったですが、動物を描いた作品が特に目につきました。橋本関雪の「野猴図」や野村五雲の「淡光」、速水御舟の「鯉魚」、この二つは断然傑作でしたが竹内栖鳳「蹴合」、そして古茂田青樹の「睡鴨・飛鴨」、僕は気に入りました。水墨画(?)では山元春拳の「雪渓遊鹿図」も傑作でしたが、面白かったのは安田靫彦の「風神・雷神」、雷の子供(?)のような風神雷神がなかなかカワイイ、こんな「風神・雷神」があったんですね。
「今、甦るローマ開催・日本美術展」、たしかに観る者も甦りました。日本画が絢爛豪華に花開いたという昭和初期の時代に引き戻された感がありました。