堀江敏幸の「雪沼とその周辺」を読んだ! | とんとん・にっき

堀江敏幸の「雪沼とその周辺」を読んだ!


yuki


朝日新聞の読書欄に「文庫・新書のおすすめ新刊」というコーナーがあり、読んでいない本が文庫になりこのコーナーに載っていると、ついつい本屋で買ってしまいます。だから新刊の文庫本を購入してもたまるだけで、なかなか読む順番が回ってこないものもあります。先日購入しておいた「雪沼とその周辺」は、新潮文庫で平成19年8月1日発行、とあります。発売されてほどなく購入しておいたものです。堀江敏幸の「めぐらし屋」については、先日このブログで書いたことがあります。そのとき堀江敏幸を紹介するために、01年「熊の敷石」で芥川賞、03年「スタンス・ドット」で川端康成賞(「雪沼とその周辺」所収)、04年に「雪沼とその周辺」で木山捷平文学賞と谷崎潤一郎賞を受賞した、と書きました。


200ページ弱の薄い文庫本ですが、「雪沼とその周辺」を一気に読み終わりました。この本は、「スタンス・ドット」「イラクサの庭」「河岸段丘」「送り火」「レンガを積む」「ピラニア」「緩斜面」という7編の短編が収録された連作短編集です。本の帯には「山あいの寂びた町の日々の移ろいに、それぞれの人生の甘苦を映し出す傑作連作小説」とあります。文庫の解説を書いている池沢夏樹によれば、「本当はこの本に解説なんかいらないのではないか」と言いながら、「一冊の小説を読むというのは、その間だけ別世界に居を移すことである」として、「読者はこの小さな町の住民になって、みんなの生活をそっと見るのだ」、「それがこの短編集のいちばんの素材である」といいます。


「雪沼」は、作者が便宜的につくりあげた小説空間の中にある架空の町です。7編の短編に共通の話の舞台が「雪沼」です。「雪沼は優しい」。「時代遅れで、静かで、品がいい」。たしかに懐かしい。今の日本ではあり得ない場所かもしれません。話の間には相互に細いつながりがあります。作品にこれといった事件が起こるわけではありません。手に汗を握るドラマがあるわけでもなく、物語になにかオチがあるわけでもありません。都会のものから見れば退屈だと思うかもしれません。しかし、生活にかすかな起伏もあるし、感情にも満ちています。派手な激情ではなく、もう少し穏やかなしみじみとした感情です。


池沢夏樹は「篤実」「道具」「職人」3つのキーワードをあげて話を進めています。雪沼に出てくる人たちは「ひとしなみに篤実という資質を備えている」。「人と人の仲はどこまでも崩れていきかねない。だから作者はその間に道具を配置して人生というシステムの安定性を確保する」。「道具は誠実である。道具は人の期待に応え、それがかなわぬ時にはちゃんと故障を訴える。直せば元に戻る。その分だけ仲はより深いものになる。かくして人と道具は長い歳月を歩むことができる」。「道具に最も多く依存する職業は、いうまでもなく職人」。「職人は手の跡を消す。一見して静謐な読後感の背後に作者の策謀と技巧が隠されている」。


「めぐらし屋」の主人公は「蕗子さん」でしたが、「雪沼とその周辺」にも同じように「陽平さん」や「絹代さん」など、「さん」づけの人たちが出てきます。コミュニティの崩壊が叫ばれて久しい昨今、しかし「雪沼」の住民たちに読者は親しいものを感じ、共感を覚えることでしょう。「めぐらし屋」をこのブログで書いたときに、加藤典洋の「微細きわまりない筆致・・・答えのないまま小説は終わるが、近年これほどまでに文学臭のない、繊細で潔癖な小説は読んだ記憶がない」という評を引用しましたが、「雪沼とその周辺」についても同じことが言えます。そして「雪沼とその周辺」の延長上に「めぐらし屋」が書かれたことも納得できました。


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