「もうひとつの佐藤忠良展」を観る! | とんとん・にっき

「もうひとつの佐藤忠良展」を観る!


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日本の具象彫刻界を代表する佐藤忠良、もう94歳を超えたという。東京・日本橋高島屋の美術画像で「もうひとつの佐藤忠良展」を観に行ってきました。高島屋美術部創設100年記念の冒頭を飾る個展だそうです。三越本店で「フンデルトワッサー展」を観て、家へ戻って夕刊を見たら、高島屋で「佐藤忠良展」をやっているという記事が目に入りました。実は三越へ行ったときに、「ハヤシライス」を食べようと「丸善日本橋店」へ行ったところ、改装中で9日にオープンだとかで、タッチの差で残念、引き返してきました。高島屋の前まで行ったのに「佐藤忠良展」をやっていたとは知りませんでした。新聞によると6日まで開催中とあり、なにはともあれ出直し、最終日の6日午後に行ってきました。美術画廊は4階紳士服売場の一番奥、たしかここへは「ユトリロ展」も観に来ました。春物が並ぶ紳士服売場、欲しいものがいっぱいでしたが、わき目もふらずに会場へ直行。



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「もうひとつの佐藤忠良展」、彫刻は全部で46点。肖像32点に子どもの遊ぶ姿をとらえた小品がありました。他に、絵本「3匹のこぶた」「おひゃくしょうとえんまさま」など3作品の挿絵原画54点が並んでいました。この挿絵原画は「宮城県美術館」から借り受けたそうです。会場を入ってすぐ左前には代表作の「群馬の人」、右前には王貞治の頭象「記録をつくった男の顔」がありました。入ってすぐのところには、脇田和、高見順ら著名人をモデルにした作品と共に、「鋳物職」「常磐の大工」ら無名の人々の作品など、頭象群が纏まって配置され、会場の周りの壁を使って挿絵原画が配置され、会場構成もデパートの会場にしてはゆったりとしていて、観易く配置されていました。



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佐藤忠良というと、同じ美術学校の同級生で親友もあった舟越保武が亡くなったときの談話が、今でも僕の中では印象に残っています。訃報の翌日の「朝日新聞」に載せられた追悼の談話で佐藤忠良は「よく持ったな。よく、がんばったな。脳こうそくで倒れて10年と思っていたのに、もう15年もたっていたのか。」「日本ではなかなか認められない彫刻を60余年も一緒にやってきた。こんなに切ない思いをするものかな、という気持ちはある。それにしてもよくがんばったな、偉いもんですわ。よっぽど精神力の強い男だね。」と述べています。もうひとつ、朝日新聞紙上で「追悼文」も書いていたのですが、その内容は、帰郷する際に舟越の実家のある盛岡駅のホームで、北海道へ帰る佐藤を見送ってくれた、というものだったと思うのですが、手元にないので詳しくは分かりません。佐藤忠良の故郷は宮城県だとばかり思っていましたが、幼少期は北海道で過ごしていたことが、この新聞記事で分かりました。



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戦後活躍した日本の彫刻家では、舟越保武の作品や木内克(よし)とともに、やはり佐藤忠良の彫刻が見る機会が特に多かったように思います。僕が佐藤忠良の作品を纏まって観たのは、20年ほど前、「宮城県美術館」での「佐藤忠良展」でした。その時の「図録」が探したのですが、どこに行ったのか出てきません。たしかにあったのですが。「佐藤忠良記念館」が開館する以前でしたから、1980年代後半ということになります。その後、1990年に宮城県美術館に「佐藤忠良記念館」が併設されました。それからも仙台に行ったときには、何度か「佐藤忠良記念館」を観に行っています。