神奈川県立近代美術館・鎌倉 | とんとん・にっき

神奈川県立近代美術館・鎌倉


先日、鎌倉へ行ったときに写した画像があるのを思い出しましたので、「鎌倉近代美術館」について書いておきたいと思います。


「神奈川県立美術館」、一般には「鎌倉近代美術館」と言われたりもしますが、戦後すぐ、1951年11月に、鎌倉市の鶴岡八幡宮の境内の一角に開館しました。緑に抱かれた池に姿を映す白い端正な建築は坂倉準三の設計で、日本のモダニズム建築の傑作の一つです。近年になって、細い鉄骨による軽さが若い世代からも支持されています。いま、この建築の抱えているの問題は二つ、一つは建てられてから55年、鉄骨に石綿版(アスベスト・ボード)の建物の老朽化が目立つこと、そしてもう一つは、鶴岡八幡宮からの借地契約期限が2016年までという事情が上げられます。今から5年前のことですが、開館50周年を機に、美術界、建築界などの有志が同館を現役で持続させようと「神奈川県立近代美術館100年の会」を設立し、活動を行っているようです。その当時のシンポジウムの記録が残っていましたので、下記に引用します。


会の代表になった高階修爾さんは、欧米の近代美術館が近年、機能や規模を拡大した動きを紹介した上で、「鎌倉の美術館は千年の歴史の上に新しい歴史を刻み、自然も見事に取り込んでいる」と位置づけ直した。建築史家の藤森照信さんは、「ミース・ファン・デル・ローエよりも前に、むき出しの鉄骨をモダニズム建築の表現に使ったのは37年のパリ万博の日本館の坂倉さん、その原則を鎌倉に持ち込んだわけで、世界史的意味がある」と新知見を披露。端正な建築とダンディな風貌の槙文彦さんは、「いい建築を保存するには官僚の脳細胞の構造改革が必要」と語る。美術史家の木下直之さんは、「小さなところで美術館と向き合う魅力は捨てがたい。小さなことが重要」と話す。


ここで藤森の言ってる「37年のパリ万博の日本館」とは、1937年(昭和12年)に建てられた「パリ万博の日本館」のことで、「幻の建築」、残念ながら現存していません。そして問題になっているのが、1951年(昭和25年) に建てられた「神奈川県立近代美術館」です。共に、世界的にも珍しい「鉄骨造」ですが、その後パタッと鉄骨の建築はつくられなくなります。鉄骨造がふたたび出現するのは1980年代まで待たなくてはなりません。



「神奈川県立近代美術館」の開館までの経過は次のようです。
1948年に、横浜市・桜木町駅近くの野毛山で貿易博覧会が開催され、その建物を一部残して美術館にする案がでました。神奈川県美術館懇談会が組織され、かつてフランス大使でもあった内山知事は積極的に推進し、鶴岡八幡宮が2000坪を無償提供した境内に新築されることになりました。本館を設計したのは、坂倉準三(1901-1969)。東京帝国大学文学部美術史学科を卒業後、建築家を志してフランスに渡り、ル・コルビュジエの事務所で修業しました。設計者の選択にあたっては設計競技が実施されました。参加指名を受けたのは、坂倉のほか、前川国男、吉村順三、谷口吉郎、山下寿郎。審査員は吉田五十八らでした。

同じル・コルビュジェに学んだ前川案も評価が高かったが、本格的なコンクリート建築で、6000万円くらいかかり、戦後間もない時期としては建築費が高すぎました。坂倉案は鉄骨、アスベスト張りで工事費が半分でできるということが重要な選択理由になった。野毛山の材料も再使用し、2850万円で工事を行い、1951年11月竣工しました。鉄骨構造2階建て、延床面積1,575平方メートル。竣工当時は空調設備がなく、梅雨時は陶磁器の展観でしのいだり、開館まもなくに事務所の壁が落ちるなど、工事費を抑えたことの弊害もあったと言われています。「小さな箱 鎌倉近代美術館の50年」(求龍堂 2001)



「神奈川県立近代美術館」は、四角い中庭を中心に、その周囲を展示室やさまざまな機能が取り巻く構成にしています。ル・コルビュジエが1939年に発表した「無限発展の美術館」というコンセプトによるもので、7年後の1959年にはル・コルビュジエ自身もこのコンセプトに基づき東京国立西洋美術館として実現しています。その設計のためにル・コルビュジエは1955年に来日し、神奈川県立近代美術館に坂倉の案内で訪れています。

設計が私の案に決つた後建築様式のことで、非常に心配される向きがあったが、私は、ああいう歴史のある古い森の中の風景にマッチする形式は、かえつて現代的な者、最も永遠に通ずるがごとき新しさを持ったものがよいのだということをよく説明した。(「鎌倉の現代美術館」 坂倉準三 藝術新潮 1952.3)

コルビュジェ式の白いブロックの建物が鶴岡八幡の境内の林泉と、うまく調和するかどうかと多少不安だったものが、出来てみると、内部から外の自然をきり取った角度が、予想出来なかった新しい風景と成ったのもうれしかった。(「最初の地方美術館」 大佛次郎 毎日新聞 1951.11.21)


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坂倉準三

神奈川県立美術館HP
神奈川県立近代美術館100年の会「小さな箱・大きな声」